森羅万象の旅日記
えーっまた蕎麦ぁ
青木湖を過ぎて木崎湖の所でちょっと寄り道をする。目的は美麻村の蕎麦である。村に入ったとたん、もう一面の蕎麦畑が広がる。めざす蕎麦屋に行くと駐車場は車で一杯である。
例によって他県ナンバーが多い。幸い座れる席があったので、いつものようにもり蕎麦を注文する。蕎麦で村おこしをしようというだけあって大変美味しい。
しかしそれよりうれしかったのは、気の利いた木の葉のてんぷらがちょこんと控えめにのっていたことだ。
これくらいのてんぷらの量だと箸安めにちょうど良い。ところで"ぬき"ということをご存知でしょうか。これは江戸っ子の粋さを表すやり方なのですが、もう知っている人もほとんどいないのではないでしょうか。
例えばお腹はちょっといっぱいだが、軽く酒をひっかけたい時、てんぷら蕎麦を注文して"ぬき"にしてくれと注文すると、中に蕎麦を入れないことなのです。
つまりてんぷらとつゆで一杯やるというわけです。"ぬき"とは蕎麦を抜くことなのです。
でもざるそばのときは言わないほうがいいですよ、蕎麦を抜かれると海苔だけになってしまいますから。今でも粋な蕎麦屋さんでは通用すると思いますが、ほとんどの店では何いってんだと思われてしまうかもしれません。
さて蕎麦の話はこれくらいにして、車は松本街道にもどり、大町を過ぎて安曇野に入った。安曇野は何度来てもすばらしい所である。何しろ名前が素晴らしい、女の子が生まれたら、絶対"安曇野"とつけようと思っていたほどである。
男なら"八ヶ岳"いや、これはだめだな、これだと必ず非行に走る。
やっぱり"穂高"だろうな。それにしても田んぼを流れる清流といい、周りを囲む山々の形といい、ここは風水でいうところの理想郷である「四神相応」の地だな。
風水ワンポイントアドバイス
風水都市 京都T
元々風水学は一個の建物をみる為のものではなく、都市を形成するのにふさわしい場所をさがす学問だったのです。古墳文化の時代に中国に仏教の勉強のために渡った遣隋使や遣唐使が、技術として風水学を日本に持ち帰りました。
694年の藤原京に始まり710年平城京、740年恭仁京、784年長岡京、794年の平安京と、ちょうど100
年間が都城と遷都のくり返しだった時代がありました。そしてそれらにはすべて風水が関わっていたのです。
最近、陰陽師(おんみょうじ)と言う言葉が紙面やテレビにたびたび登場しますね、陰陽師とは日本独特の呼び名で、中国の風水師と考えていいと思います。なかでも阿部晴明はスーパースターといっていいほどの存在です。
今度、テレビで陰陽師というのを放映するそうですが、安部晴明は野村万作が演ずるそうです。イメージ的にはこれ以上ない適役だと思います。そんな陰陽師達が属する省庁が陰陽寮だったのです。
陰陽寮とは今で言う科学技術庁のようなものかも知れません。ですから陰陽師は現在の高級官僚と言えるかも知れません。
そしてそこでは天体の動きをみて色々な行事を決めたり、遷都のための場所を選定したりしたのでした。
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