森羅万象の旅日記 

まだ日本海

私はこれまで大きな認識不足をしていた。というのは日本海は水が冷たくて、数分と中に入っていられないものと思っていた。ところがここでは何時間でも入っていられるのである。

もっともこの海水浴場が入り江にあることにもよるのであるが、とにかく暖かい。それに背の立つところでも、ちょと潜ると四十センチ以上ある魚が群れているのがあちこちでみられるのには驚いた。

一メートルぐらいにまで近づいても逃げないし、大きな口をパクパクさせているので怖いぐらいである。また底にはあちこちにふぐがへばりついている。一応シュノーケルの用意はしてきたが、こんなに役に立つとは思わなかった。

ここの食事はなかなかいい、ひとおおりおかずが出た後で、一人に1匹づつカニが出たのには驚いてしまった。またご主人の言動がいい、客が大勢のときはカニは出さないのだそうである。

中には食べないで持って帰ってしまう人もいるそうで、後で食中毒にでもなられたら大変なので、少人数の時しか出さないのだそうである。何とも面白い考え方ではないか。

食事後釣竿を持って防波堤の先端に言って釣り糸をたれる。何とか先ほど見たあのでかい魚を釣ってやろうと思うのだが、どういう訳か釣れるのはふぐばかりである。

そのうち日も暮れかけ、波も相当荒くなって防波堤にまでかかるようなってきた。と、海岸の方からこちらに向かって誰かが泳いでくる。そのうち防波堤に上がってきたのはがっちりした三人の男であった。

そして今度は反対側の海に入り、沖に向かって泳いでいく、信じられない、外側の海は大変な波である。そして波間に見え隠れした三つの頭もやがて見えなくなってしまった。

宿に帰って沙らら先生と話して、あれは絶対北朝鮮の工作員ではないか、そして沖では潜水艦が待っていて、そこまで泳いでいったのかも知れない。みやげに私を連れて行こうと思ったが、見れば年もくっているし、貧相なので止めたのではないか。

夜、ぬかみそのきゅうりをかじりながら、焼酎の炭酸割りを飲んでいると、外では風が強くなり、波の砕ける音が聞こえる。先ほど地元の人が、西の風が吹いてきたので今夜は波が高くなる、と言っていたがその通りになった。

鬼博の余談

ここで少し建築の話をしましょう。私の泊まったところもそうですが、能生町のように海に面しているようなところは、海に向かって細長い建物が多いようです。これは風通しを考えての事だと思います。

細長い建物の屋根は切妻が多いようです。切妻というのは屋根のなかで一番単純な形です。三角形の山形をしていて、ほとんどが左右対称型をしています。私はこの切妻屋根の組み合わせが一番美しい外観を作ると思っています。

都会ですとなかなか広い土地が手に入らないにで、建物も綜二階建てか、それに近いプロポーションになってしまいます。そういった建物には切妻は似合いません。

いろいろ調べてみると、一階と二階の床面積の比率が7:3に近い時にもっとも美しい切妻の外観となるようです。時々、いかにもお金をかけていますというような、重々しい屋根の家を見かけますが、あれは凶相の家となってしまいます。

切妻で、三角形の方を妻といい、たいらに見えるほうを平(ひら)といいます。玄関が妻側にあるのを妻入りといい、平側にあるのを平入りといいます。そして、北方系の民族は妻入りの建物が多く、南方系の民族は平入りの建物が多いのです。

日本で有名な建物では、出雲大社が妻入りです。また伊勢神宮は平入りとなっています。ですから北方系民族と南方系民族がちょうど日本でいっしょになったのでしょう。

暖流と寒流も日本の沖合いでぶつかるし、日本列島の山脈、風水では龍脈といいますが、これも西日本では東西に伸び、北日本や中部地方では南北に伸び、その東西の軸と南北の軸が伊勢市あたりで交わっています。

その地に伊勢神宮を作ったのも偶然ではないかもしれません。地理的に日本は相対的な要素が交錯する場所ともいえます。陰陽道とは陰と陽、つまり相反するもの、男と女、プラスとマイナス、生と死、といったものへの二律背反的な考え方が基本になっています。

その陰と陽が四象、八卦、と発展しながら六十四卦となり易学の世界に入っていくのですが、風水が受け入れられやすいのもそういった地理的条件があるからなのかも知れません。


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