アラン・ロウの「色々な話」  TOP

こちらに掲載した文章は全て自身の体験を元にしたフィクションです。
1999年〜2005年の間にメールマガジンで配信したものですので
少々話題が古いものがありますが、どうか懐かしんでください。
ご意見、ご感想はお客様の心の中にしまってくださいませね。^^;

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アメリカへ行く人

まるで落とし穴にでも落ちたように、突然人生が変わりだすことがある。あの時にあの場所へ行ったばかりに、思いもよらぬ方向に人生が動き始めた、というような経験は多かれ少なかれ誰にでもあるのではないだろうか。

その変化が良い事なら「ホントに運がよかったよねー」と、共に喜び合えるのだが、たいがいはトラブルや波乱含みの恋の始まりだったりするようだ。
ある40代の女性が英会話教室に通い始めた。学生の頃から英語が好きで、いずれは本格的に勉強したいと思っていたのだが、結婚や出産で、伸ばし伸ばしになっていた。
しかし結婚20年目にして仕事人間の夫との離婚を決意。
心機一転、本格的な勉強を始めようと、念願の英会話教室通いが始まったのだ。

好きこそものの上手なれ、周りからは「発音がきれい」と誉められたりして、益々やる気になっていったようだ。
そんな折、「インターナショナルクラブでバイトをしないか」という誘いがあった。彼女にしてみると英会話の練習にもなり一挙両得と思われ、週に何回かのアルバイトを始めたのだ。(コレは、まだ落とし穴ではない)

そんな毎日に慣れた頃、落とし穴がパックリと口をあけた。
ある夜、バイトが終わるのがいつもより遅くなり終電に遅れた彼女は仕方なく始発までの時間をインターネットカフェでやり過ごした。夜も白々と明けてくる頃、妙に頭がすっきりして朝の空気がやけに気持ちいい。

駅に向かう途中、陸橋の手すりにもたれている長身の白人青年と目が合った。彼の優しい目に誘われたように、彼女から声をかけた。「good morning!」きっかけは、これだった。彼はアメリカ人ミュージシャン、来日したばかりの頃だった。彼女のつたない英語と彼の使うスラングはなかなか噛み合わないけど、2人はあっという間に恋におちていった。

自分よりも10歳以上若くて飛び切りカッコいい恋人の出現に彼女の生活は一転した。彼も仕事が終わると毎日のように彼女の部屋を訪ね、溢れるような愛の言葉を彼女に囁く。彼女は彼に洋服を買い、靴を買った。何を着せても彼は誰よりも似合う。そんな彼が無邪気に喜ぶと、もうそれで満足だった。

しかし蜜月が1ヶ月ほど過ぎた頃から、だんだんと雲行きが怪しくなってきた。彼は彼女に小遣いをせびるようになり、酔って部屋を訪れる事が多くなってきた。ファンの女の子達と遊び歩く事も頻繁になり、軍資金がなくなると彼女の所に来て媚びた。
彼女が怒ると、「君は特別な人なんだ」といって、思い切り愛してくれる。

彼女は混乱しながらも彼に巻き込まれてしまう。
さらに一月ほど経つと怪しい雲行きはさらに黒々と広がりだした。彼が若い女の子を口説いている場面に、偶然彼女が出くわしていつものように痴話喧嘩になった。今まで「君は特別な人だ」といっていた彼の口から、信じられないような汚い言葉がとびだす。更に上げた手が頬を打った。

こうなると彼は、もう彼女を尊重する様子も無くなる。
やりたい放題だし、「嫌ならいつでも別れてやるよ」と開き直る。
それから、彼は気が向いた時に彼女の部屋で彼女を抱いて、金をせびって帰るようになる。気が向かなければ金だけもって帰ってしまう。

年下でカッコいい外人ミュージシャンの恋人は、いまや女好きで暴力的な不良外人のヒモ以外の何者でもない。
彼が帰国するまでの数ヶ月間、この暮らしが続いたようだ。
叩かれて目が開かないほど腫れたり、肋骨にひびが入ったりもしたらしい。
「それでも好き」と彼女は言う。あの甘い時間が忘れられないと言う。

殴られた事は「自分が悪かった」とまで言うのだ。
しばらくしたらアメリカに行くつもりだと言う。
彼女の落ちた「落とし穴」の底はまだ見えてこないようだ。

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      32歳人妻さん 
(はい、あなたは無敵です)


出会い系のサイトが花盛りらしい。
そういえばメールから始まった恋の相談がやたらと多くなってきたような気がする。私はまだ試したことが無いので、どんなからくりかは知らないが、興味が無い訳ではない。電脳お見合いのようなものか?とりあえず条件や趣味が合う人が出会うのだろうけど、みんな嘘をついたりはしないのだろうか。私なら、絶対つくと思うのだが、どうなんだろう。

以前知り合いの男性がアメリカの女の子と文通(懐かしい)をしていたのだが、ある日彼女から「写真を送って欲しい」という手紙が届いたらしい。彼は中肉小背の体格で、顔はちょっと茄子に似ていたのだが、心は糸蒟蒻のごとく繊細にして真っ白な男だった。容姿にいまいち自信が持てない彼は、悩んだのだろう。送るべきか、送らざるべきか、せっかく可愛いジェニファー(仮名)が言ってきているのに、むげに断ると悪いような気がするし、だからといってカッコ良く撮れてる写真なんか無いし、悩みに悩んだ末、彼は送ってしまったのだった。近藤真彦、そうマッチ(懐かしい)の写真を送ってしまったのだ。

心の綺麗な彼ではあったが、しょせん相手はアメリカだし生涯会う事も無いと思うと、どんな事でも書けるようになっていったようだ。
マッチの化身となった彼は、先日優勝したカーレースの話題や(本物の彼は原付しか乗れない)、お祖父さんの持っている軽井沢の別荘の事(彼のお祖父さんは痛風は持っているが別荘は持ってない)など、ついつい書いてしまったらしい。そんな事が続いたある日、彼女から「日本に行く事になったので、空港まで迎えに来て欲しい」との手紙が届いた。

「愛しいジェニファーが来る!」一瞬喜んだ彼だが、逢うわけにはゆかない。何しろそれまでにA級ライセンスを取って、別荘を建てて、18センチほど身長を伸ばさなければならないのだ。なんだかんだと理由を作って、彼女との衝撃の対面だけは避けたのだが、それからはお互いに何となく気まずくなってしまい、その後文通もやめてしまったという事だった。

ここまで調子に乗らないとしても、出会いサイトの人達は少しは別世界の人間を演じたりしているのだろうな。それはそれで楽しい気がするし、まあ、良いのかなと思うのだが。1ヶ月ほど前に18歳の男子高校生が32歳の人妻を彼女の家で刺す事件があったのだが、やはり出会いは、そういうサイトだったようだ。出会い系サイトの面白い所は、通常の暮らしの中では出会う事の難しい人が、あれよあれよと仲良くなったりする事だろう。

今回の人妻と高校生という組み合わせも、日常の接点は極めて少ない者同士だろう。行動範囲が全く違う。
サイト上では一人一人が非常に個人的に繋がるので、他人の目を気にせずカップルになれるのだろう。同性同士の恋人募集サイトも大賑わいらしいし、既婚者同士でも賑やかなものなのだそうだ。

そうなりゃ、年下の恋人募集なんてやりたい放題だろうね。
彼女がどのように出会いサイトに登録したかは知らないけれど「32歳人妻、子供なし、夫単身赴任中、中肉中背、色白、ちょっと中山美穂に似てるかも。(はぁと)、年下独身希望、読書好きで真面目な方、出会いを待っています。」等と書いたかもしれない。たぶん100通はメールが届くに違いない。

半信半疑だとしても、ちょっと書いてみたくなるのが健康な男性の心理だろう。不健康な男性なら余計に書きたくなるかもしれない。(私だって書きたいくらいだ。)事件に遭ってしまった彼女はお気の毒だが、先日は友人達とこの話で盛り上がってしまった。友人Aいわく「32歳の人妻にとっては18歳の高校生なんかイチコロだね、どうやってもかなわないよなぁ」一同、同意の念を表すべく、ウムウムと頷いていたのだが、友人Bがふとつぶやいた。

「32歳人妻には18歳の高校生だけではなく、18歳から75歳の男まで、みーんなイチコロではなかろうか・・・。」目から鱗。そう言われてみればその通りだろう。(一同大いに同意)そうです!32歳人妻は出会いサイトなんかに登録してはいけません。男達はみーんな、コロリと迷わされてしまうのです。
相手が18歳の高校生ではなくて、48歳の社会科の先生でも55歳の中間管理職のお父さんでもイチコロなのです。

32歳人妻の皆さん、近いうちにそうなる方も含めて、自分の置かれている、妙に色っぽい立場をわきまえて、行動しましょうね。刺されたら、痛いからね。
向学の為に私もこれから出会いサイトに行って登録してみようかと思っています。「32歳人妻、占い師、夫放浪中、中肉中背中性脂肪あり、時々、太巻きに似てるなんて言われます(はぁと)、小学生不可」メール来るかな?


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46億年の袋として



私はあまり運動が好きではない。太陽も苦手だし汗をかくなんて、やだやだ。
太陽の下でやることといったらコロリと丸くしゃがんで地面の草をちびちび抜くぐらいのものだ。

そんな私が何をとち狂ったのか「太極拳」をはじめてしまった・・・。すでに後悔ははじまっている。台湾や中国では、お爺さんやお婆さんが朝もはよから公園でラジオ体操よろしく、楽しそうにやっている、とテレビで言っていたので気楽に出来るものと思い、つい始めてしまったのだ。

台湾や中国のお年寄りはエライ!おそれいりました。私が悪うございました、ハイッ。この運動、始めてみるとさぁ大変、とにかく手足、頭、視線に至るまでバラバラなのだ。

かつてよりこの体、バラバラにされた事も無ければ、したことも無かった。多少短いとか、太いとか不便なこともあったが、とにかく使えていたのだ。右手は箸を持ち、左手はぐい飲みを持っていたのだ。右足、左足も上手に交互に出ていたし、あたまの方向と視線の向きは同じだったのだ。それでいいんじゃないのぉ・・。

「それでは不足だ」と太極拳の先生は言う。今までに経験の無い動きをすることによって眠っている脳を刺激して活性化し、想像力や直感を鋭くするらしい。そう言えば最近私の脳はぐっすりと眠っているような気がしないでもない。そんな訳でしぶしぶ続けているのだ。

しかし考えてみると、私のこの体が自分の思い通りになっていたことなんてあるだろうか。姿形にしても、もっと長細くてメリハリ付きの方がいいし、筋力も欲しい。内側に至っては頭もお腹も痛くなりたくないのに月に何度かは頭痛や胃痛がやってくる。楽しいはずのドライブも必ず尿意に雰囲気を壊され、トイレを探すはめになる。自分の体ってどういうことだ?

仕事柄、感情のコントロールについてのアドバイスは割と得意だ。(人の事は言えるものだ)しかし身体については、お隣の経済状態と同じくらいわからない。ある朝突然に死んでしまったりもするのだ。(アパート暮らしの頃、ある朝突然お隣が居なくなったことがある)
この身体、自分のものと思い込んでいるだけで、実はそうではないのかも知れない・・。全く別の力によって動かされているような気もする。

例えば、台所の床が汚れていて拭かなければならないのにどうしても体がベットから出られない時、人は私の事を怠け者とかだらしないとかソクラテスの妻だとか言うが、もしかしたら大間違いで、本当は遠い宇宙のはてにある謎の超物質が私の体を支配していて、それらは何らかの理由で、私を台所に近づけまいとしているのかも知れない。さぁどうだ。・・・、たぶん違うだろう、だがしかし必ずしも身体と頭、または精神が一致しないことは確かだ。

身体はまるで目をつぶって借りてきた中古車のような存在だ。
借り物だと思うと納得がいく、大きさもデザインも自分の好みとは合わないし機能も馬力も足りない。アクセルもブレーキも思いどうりに働かない。様子を見ながら臆病に扱わないとすぐにエンストをおこす。だけど無いと困る・・。
でも、そんな私たちの身体には生命の起源が隠されている。途中でわいた訳ではないので、必ず親があるのだ。

我とわが身を二つに分けて増殖していったミニマムの頃から今のあなたや私まで、延々と身体という媒体を使って生命の旅を続けて来たのだ。
生命の起源はおそらく宇宙の起源につながりすべての起源と重なるのだろう。
中古車のようなこの私達の肉体は、短く見積もっても46億年の歴史を抱え込んだ袋なのだ。悠久の彼方のありとあらゆる出来事や人々の思いをしっかりと包んで生きているのだ。

命の記憶がここにあるのだろう、貴方という袋、私という袋の中にね。
多少、太かろうが短かろうが太極拳がデタラメだとしてもいいのかなぁと思う。
でも今度借りる時はもぅちょっとだけ上等なのにしたいかな、なーんてね。

 

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あの人、嫌いだ。

インフルエンザにかかり、ひどいめに遭いました。
皆さんは、平気ですか?くれぐれも、モノを拾って食べたりせぬよう、注意してください。どうしても食べたい時は良く洗ってからにしましょうね。

病みあがりにつき、今日はちょっと雑談。
寝ながらテレビを見ていたら、何だかやたらと森総理のことが話題になっていて、大方は馬鹿だの、軽いの、太いの、やめろ、だのというような意見だった。えひめ丸の海難事故の時の対応など聞いていると、そういう意見も仕方ないだろう。しかし私、今は病身の身ゆえ、政治や外交などにはちょっと気が行かず、寝ながらふっと思ったのは、「奥さんお気の毒・・」ということだった。

その人の能力がどうであれ一応は総理大臣だ。妻はファーストレディという事になる訳だが、その姿はテレビ等でもあまり見かけない。
本人もこうなっては、あまり出て来たくないかもしれないな。

家の中で、女房が夫の事を「全く、ウチの宿六と来たら馬鹿なんだからっ!」と言ってる分にはいいのだが、よその人から「あんたの亭主は馬鹿だね〜」と言われると何やら腹が立つだろう。

森さんもあんな人なので、奥さんは色々と苦労したのだと思うのだが、それでも国民が口を揃えて「馬鹿だ、あほだ、軽い、太い」といっているのを聞くと、「良いところもあるんです。ウチの亭主にだって!」とか何とか言いたくもなるだろうなぁ。  記者会見させたいなぁ。

記者「奥さんは、森さんのどこが好きになって結婚されたんでしょうか?」

夫人「ど、どこって、うーん、・・・・強いところですわ。」

記者「何が強いんですか」

夫人「えーと、胃腸です。・・・あと、ゴルフと腕相撲も強いかしら」

記者「弱い所はありますか」

夫人「聴力と洞察力と決断力と握力と算数です(キッパリと)」

記者「聴力が弱いせいで、何を言われても平気なのですね。」

夫人「えっ?何ておっしゃったの?聞こえませんわ〜ホホホ」
二人は、似たもの夫婦のようだ。

記者「では、今の森総理への批判をどのように受け止めていますか」

夫人「皆さんは森を馬鹿だ、あほだ、軽い、太いとおっしゃいますけどね、
あの人にだって良い所の一つや二つありますですよ。今の深刻な国政を国民に気付かれぬように馬鹿のふりをしていますが、あの人以外に誰が今の状況をお笑いに出来ますか?借金が660兆円もある国の政治を本気でやる人がいるんですかぁ?その証拠に誰も総理大臣なんかやりたがらないじゃありませんか、森は冗談が好きな明るい人ですからね、良いんじゃないんですか」

記者「じょ、冗談で総理大臣をやっているのですか?」

夫人「冗談と言うよりも、面白半分ですかしらね」

記者「森さんが総理を辞められたら、その後はどうしますか」

夫人「恩給や退職金がありますから、ハワイかオーストラリアにでも移住しようか、なんて話し合っているんですよ。富士山も近々ありそうですしねぇ、なんと言ってもゴルフが安く出来ますでしょう。でも、ハワイは、ちょっとまずいかもしれませんね、ほとぼりが冷めないうちはねぇ」

記者「最後に森総理は家事を手伝ったりするんですか?」

夫人「はい、掃除は良くやってくれます。ですからウチでは、「掃除大臣!」
なんて呼んでるんですよ、ぷっ。ひげをそる時はソーリ大臣なんちゃって」

いやだな、きっとこんな記者会見になるのだろうな。(ならないって)
それにしても、こんな総理大臣を置かなきゃいけない私達って、結構不幸な国民なのかもしれないな。トホホホホ、やっぱ選挙行かなきゃいけないね。
            
             あっ、又熱が出てきた。

 
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お姉さんたち、どうしちゃったの?

最近、立て続けに私よりちょっとだけお姉さん達の恋愛話を聞く機会があった。
年齢的には子供が恋人を連れて来るようになったり、独立して家を出て行ったりして、時間もお金も余裕が出てきた頃だ。

亭主にはもはや男としての色気は感じない、仲は良いが「同士」といった気配で、お互いに多少の事は目をつぶろうかと思ったりもする頃だろうか。
一人目のお姉さんの恋は人の亭主との恋、いわゆるW不倫だ。不思議なことに人の亭主は、「うちの亭主」と違って大変色っぽい存在だったりする。たぶんその亭主も家に戻れば妻には「同胞」として見られている普通の旦那なのだろうけど。

最初は当然ラブラブだ。(大人だってラブラブしたいんだ)
その頃は「うちの亭主」に悪いと思うので、家の事はしっかりやるし、ばれないように注意も出来る。

少し経つと「人の亭主」も付き合いに慣れてきて前ほどラブラブとは、してくれなくなる。そこで潮時という事を知れば良いのだが、それまで真面目だったお姉さんはその辺の駆け引きが出来ない。

「他に誰かいるのかしら、それとも奥さんと仲直りをしてしまったのかしら・・」たいがいの場合、男は「妻とは上手くいっていない」と申告しているものだ。
どちらにしても落ち着かない。家事もはかどらず、心ここにあらずの状態になる。電話をしようとすると、亭主が急に帰ってきたりして思うようにならない。

たまに「会いたい」と囁かれると無理をしてでも彼の都合に合わせてしまう。そして完全に彼が優先順位第一位となり、同士のはずの夫が少々邪魔になってくる。そこで亭主に多額の保険金・・という事にはならない。
そのお姉さんの場合は「彼が引き受けてくれるならいっそ離婚して自由になろう」、と考えたらしい。

まずは彼に確認をとろうと、彼に話を切り出した。

姉さん「あたしが離婚したらどうする・・・?」

彼「エッ、そうなりそうなの・・・・」(完全に狼狽してる)

姉さん「別に今すぐじゃないけど、いつかはそうなるかも知れないと思ってー。」

彼「今じゃないんだ、じゃ、良いんじゃない自分の人生だからね」(今じゃなきゃ、別にオレには関係ないか)

姉さん「貴方は奥さんとはどうするの、」

彼「妻なんかはどうでも良いけど娘のためには離婚は無理だろうな」
この後、彼女も離婚計画は綺麗さっぱりと取りやめにしたのだが、付き合いは続いていて、ある時彼の奥さんにバレてしまったらしい。(わぉ)

気の強い妻と浮気相手、双方譲らず携帯バトルトークとなった。

妻「うちの馬鹿亭主、今は貴女を好きとか言ってるかも知れないけど、結婚してからもう4人目があんたなのよ、子供連れてってくれるなら、ノシつけてくれてやるわよ」

姉さん「冗談じゃない、家事も手抜きで色気も無いっていつも彼が愚痴ってるのよ、だから浮気されんのよ」

妻「とにかくあんたとは遊びだと、亭主が言ってるからね、もう二度と会わないってさ」

姉さん「ちょっと!あの人出してよ」

妻、「あんた!あのおばさんが、代わって欲しいってさ」(電話を放り投げる)

馬鹿亭主「・・・・・・・・うっ、ごめん」

電話の向こうの妻「なに謝ってんのよ、遊びだって言ってたじゃない」

姉さん「ガッチャン!!!!!」

という訳でお姉さんの恋は終わるんだけど、そんな時に私はたまたまこの話を聞いたもので、お姉さんはまだ凄ーく怒っていて、このままでは収まらないと言う。
私「で、どうするつもりなんです?」

姉さん「これからあそこの家の前にいって、死なない程度に手首でも切ってやろうかと思うのだけど」

私「あわわわわ、その方法は痛くてカッコ悪いという点では最高かも知れませんが・・」

姉さん「それを見て、彼が後悔したりはしないかなぁ」

泣かせるね、思わず目に涙を溜めながら「後悔はしてくれると思います、何であんなとんでもない女と付き合ってしまったのだろうと、それはそれは深く後悔しますよ、絶対。」と私

このお姉さんはとても真面目で純粋な人だと思う。愛してやまないよね。
10代の頃と同じ火種を胸に抱いているのだろう、だから滅茶苦茶になってしまうんだろう。でもね、少しは学習しないといけない。大人になったら恋よりも優先するべきものを1つは持っていないといけないという事、そしてどの恋も生涯忘れられない大切な財産だという事。大切にしよう。

他のお姉さん達は、娘の恋人を好きになって告白してしまって収集がつかなくなってしまっていたり、25歳も年下の男に貢いでしまったりと、賑やかこの上ないのだが皆さん共通して若々しくて綺麗です。あなたの恋の火種、どんな具合ですか?

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さらう女、混ぜる男

ここのところ、不愉快極まりない事件が立て続けに起きている。
米子の新生児をさらった女と仙台の筋弛緩剤を混ぜた男は、たまたま29歳であるという共通点ばかりではなく、なにやら似たもの同士の匂いがする。
どんな匂いか、しいて言うなら体の中に毒虫を飼っていそうな匂いだ。

新生児さらいの一報を聞いた時には、子供欲しさの犯行かと思い一抹の不憫を感じていたのだが、いざ捕まってみてその動機に腹立たしさ以上の不快感を感じたのは、私だけではないだろう。

犯人の女はとにかく道具が欲しかったのだ。自分の嘘を取り繕うために、そして不倫相手を我が物とするための道具だ。そこには母性のかけらも無ければ、責任感も無い。あるのは情念と邪心、無知と性欲ばかりだ。

彼女にとって子供とは、相手の男が自分の子宮に溺れた結果でしかないのだろう。「あなたは、こんなに私の子宮に溺れていたのよ」、という証なのかもしれない。

「あなたの子よ」という一言には、信じられないほど深い意味がある。突きつけられた相手は、実感できないとしても覚えはあるのだから、何らかのリアクションはしなくてはならない。

「本当に俺の子か?」口には出さなくても(出すと修羅場になる)ふっと頭をよぎる人も多いだろう。婚外恋愛であればなおさらだ。
「間違いなく、あなたの子です」女はきっぱり言い切る。
「私生みますから」またしても女はきっぱりと言う。

こういう場合のリアクションは、男にとって右手と左手のどちらを切るか選べと、言われたくらい難しい。とりあえず、おなかの子供の半分は自分のものなのに所有権と決定権は完全に相手の手の内にある状態だ。

本能としては、子孫を残したくない男は殆どいない。しかし、世間が会社が、妻が子供が・・・と考えると手放しでは喜べない。

自信に満ちた女に対して「ううむ・・」等と唸るのが精一杯かもしれない。
「あなたの子よ」という台詞は、女にとっては男を即時に黙らせる最強にして最後の武器に他ならないのだ。

犯人の女は、男との別れ話を止めるためにこの武器を使ったようだ。
この犯人にとって、さらってしまった子供のこれから70年余りの人生なんて、全く意識に無いのだろうか。男を引き止める能力が無ければ、その子をどうするつもりだったのだろうか。役に立たない武器は川にでも捨てるつもりなのだろうか。

「妊娠した」という嘘は、世界で一番悲しい嘘だと思う。ついてはいけない嘘なのだ。言った女も言われた男も切なくて苦しくて辛いのだから。

妊娠がきっかけで結婚するカップルも沢山いる、それはいいのだが、もし貴女が今の恋を結婚に持ち込むために妊娠しようとしているのなら、単に赤ん坊を生み出すのではなく、ある人間の70年余りの貴重な人生を生み出すのだ、という覚悟だけはしてからにして欲しい。

自分が道具として使われたくないのなら、誰も道具にしてはいけない。
仙台の「混ぜる男」は、患者を道具にした。幼い命や時を越えてきた残り僅かな命を自分の不満を伝えるための道具に使ったのだ。

両者とも命に対しての尊重や畏敬の念が全く感じられない。足りないものを手に入れるためには、手当たり次第に道具として利用してきたのだろう。
彼ら二人の心に棲む、なにやら気持ちの悪い「毒虫」は、その子孫をぞくぞくと私達の世界に送り込んでいるような気がする。

自分が産んだ子供を虐待したり、放置したりするケースも多く見られる。
これらの現象もやはり毒虫の仕業なんだろうか?・・私は怖くて仕方ない。
あなたの中に、毒虫はいませんか。

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ビデオテープが止まらない


辛いことや悲しいことは記憶から消えにくいように感じる。特に恋人や親友に裏切られたり去られたりした時の「あの瞬間」の切られるような痛みは何回も何回も脳裏に蘇って、胸を締め付けてくる。

思考型であればあるほどその痛みはグズグズと長引き、色々な瞬間に胸を切り裂きに現れる。通り魔を胸に住まわしているようなものだ。多くの場合は住まわした上に栄養まで与えてしまう。忘れる事を恐れるかのように繰り返し繰り返し、その瞬間を頭の中で再生してしまうのだ。

何のために人は傷つき続けようとするのだろう。
「怒りを持続させるため」ではないだろうかと私は思っている。とても好きな相手をあきらめる為には「怒り」の力が必要だと思っている。

とても好きなのだからそう簡単には別れられない、しかし相手は自分を裏切り他の人の所へに行こうとしているのだ。泣いてすがったところで、気持ちが戻る訳も無いことは十分承知している。そんな時人は怒りを爆発させて吹っ切ろうとする。

しかし少し時間が経つと楽しかったあの時が蘇り、すがりたい気持ちが顔を出す。それを振り切る為に一番悲惨でつらかった出来事を脳裏に再生して怒りの気持ちを呼び返すのだ。

グサグサとわが身にナイフを突き立てているようなものだ。
その人は1度しか起きていないことで1000回も傷ついているんだ。
それでも別れてしまうことが出来れば、少しづつ回復するのだが状況によっては(夫婦であったり、相手が他の人にフラレテ戻ってきたり)自分をあれほど傷つけた本人が目の前にいるのだ。愛情と怒りの混沌に陥る。

愛情を吹っ切るために怒りを使ったのだが、もはや吹っ切る必要がなくなっているのだ。出来れば何も無かった頃のように暮らしたいのだが、そうはいかない。何しろこちらは1000回も傷ついているんだから。
一番悲惨で辛かった出来事の再生が癖になってしまっている人は意外と多い。軽い怒りと憎しみとあきらめのような感情を抱えて、自分自身からの攻撃に耐えている。

それはまるで次に来る「痛い瞬間」への準備のようにも思える。でも次に来る痛みは前回とはまるで違う状況で襲ってくることになるのだ。準備は何の役にも立つことは無い。

そろそろ頭の中にある古いビデオテープを止めても良いのかもしれない。
1回の出来事を1000回も再生することはない。そして繰り返し傷つくことはしてはいけない。自分の胸を刺してはだめだ。

「思考が自分を苦しめる」誰かがそんなことを言っていた。
ビデオテープを止めた時、意外と幸せな貴方がいるかもしれない。

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嘘、偽りを申します

彼女たちは言う「嘘さえつかないでくれれば、許してあげられると思うんです。」私が内心疑う「え〜、ほんとか〜、嘘じゃないの〜。」
私は疑い深い上に職業柄、勘がいい。かつての恋人たちも、今の相棒もたまったものじゃないと思う、ごめんなさいね。

でも嘘をつかれるのは確かに嫌だ、1つの嘘がばれる事で他の真実も疑わしくなってくるし、過去の出来事も未来の約束も信じられなくなる。
だからといって無神経な本当も、どうかとは思うよ。

もし恋人に「今日、元彼女に会って、食事をして一杯飲んで、ひょっとしたら成り行きでホテルにも行くかもしれないから遅くなるよ」等と、言われたひにゃぁ、おもいっきり変装して電信柱の影に隠れたりしながら、とことん尾行してしまいそうだ。(出来たら元彼女にばけたいくらいだ)

「嘘さえつかなければ許せる」ほど冷静なら、嘘ぐらい許せるのかもしれないのだ。と言ってもやはり嘘をつかれるのは面白くない。
でもその嘘の正体って、いったい何なんだろう。
嘘にも種類というかランクというか、なにしろ幾つかのパターンがある。

その1・・行き当たりばったりの、勢いでつく嘘(突発性単純子供型)
その2・・計算ずくだが、分析されるとバレる嘘(計画性浮気出来心型)
その3・・自分でも信じてしまいそうなほど完璧な嘘(究極性真嘘混沌型)
少なくともこの3つくらいには分類されそうだ。

子供やほら吹きの嘘は、その1・突発性単純子供型、になるのだろう。これに関してはよっぽどの被害がない限り、それほど腹も立たない。
その3・究極性真嘘混沌型については、バレル可能性が極めて低いので腹を立てるのは難しい。女性が恋人や旦那につく嘘はこのタイプが多い。

実際、男性と女性では「嘘つき率」は同等だと思うのだが、「バレ率」は、圧倒的に男性が高いように感じる。「嘘つき!」と責められるのは、たいがいが男なのだ。

さて問題の、その2・計画性浮気出来心型、なのだが男性の多くがこの嘘で彼女や妻を激怒させる事になる。女性の「嘘見抜き力」を甘く見たばっかりに彼等は「嘘つき!」と責められる事になるのだ。

彼女たちが言う「嘘さえつかないでくれれば、許してあげられると思うんです」の「嘘」は、このタイプなのだろう。バレバレの嘘をつかれて神経を逆なでされたり、裏切られた気分になったりすれば、腹が立って当然だ。

少なくとも、その彼女たちが(私も・・)彼に嘘をつく時は、もっと十分計画を練って、何を聞かれても完璧に答えられるように準備している訳だし、後になってポロっとバレるような事を口走ったりはしない覚悟があるのだ。
それがなんだ、彼等の嘘といったら何の準備もされず2、3日もたったらバレるような事を平気で口走る、嘘つきとしての覚悟のかけらもない。
「だったら、つくなよ。」と進言したくなる。

何度となく嘘がばれて、喧嘩になって「嘘をつかないで欲しい」と彼女に言われてもまた嘘をついてしまう彼等の神経はどうなっているのだろう。
「本当の事を言うよりはマシ」だと思っているのかもしれないが、それほど考えているのかも疑問だ。ましてや嘘をつかれる側の感情なんか全く考慮に無い。どうして奴等はそこまで無神経、無頓着でいられるのか・・・・。

これはたぶん「嘘見抜き力」の問題のように思える。男性の嘘見抜き力は女性のそれに比べて極めて低い。(たぶん10分の1程度)
という事は、嘘をつかれている事に気づくことが女性より少ない訳だ。
人によっては1度も彼女に嘘をつかれた事が無いと、信じている凄い人もいるのだろう。(超例外的には本当の場合もあるかもしれないが)

たとえ嘘に気づいたとしても、「彼女は本来、自分を裏切らない人間」だと信じている彼等は、腹を立てはするが傷つきはしない。全く、うらやましい。
嘘をつかれても傷つかない(人によっては気づきもしない)彼らに、嘘をつかれて傷つく感情を理解させるのは、そうとう難しいかもしれないな。
悲しいよね「嘘見抜き力」が優れている女性たちって。
もっとボンヤリしていれば全然楽だったろうに、知らなければ無かった事と同じだからね。

いつか本当に腹が立って彼氏にリベンジしたくなったらね、かつて貴女が彼についた嘘を2つ3つ教えてあげればいいかもしれない。これは結構効くと思う。(別れると決めてからにした方がいいよ)

ここに同じ程度に嘘つきの男女がいる、嘘がばれる男と、嘘がばれない女、「嘘つき!」と責められる側の男と、責める側の女・・。
さて、いったいどっちが不幸なんだろう。私にはよく分からない。

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遠い人へ

100キロを超えたら要注意だと思う、危険だ、危ない!
ダイエットの話ではない。確かに体も100キロを超えてはまずいのだが、今日の話は遠距離恋愛がテーマだ。ダイエットの方が良いという方も多々あろうが、それは私が見事成功をしてからにしたいと思う。(今書くと、たぶん愚痴になるのだトホホ)

現在は諸事情で遠距離恋愛をするカップルが随分多くなったようだが、少し時代をさかのぼると遠距離恋愛は成立しなくなる。

「電話が無い」とか「交通手段が乏しい」時代・・・たぶん皆さんの祖父母の時代だろうか。両親の頃もそれほど便利ではなかったはずだ。
ほとんどの人は近くの人と結ばれた。出身地が遠方であっても当人同士は同じ地域で働いたり、暮らしたりしていたのだろう。ごく自然な成り行きだ。

その頃の恋人達だって転勤もあっただろうし、家庭の都合もあったと思う。離れ離れになってしまうかもしれない時、彼らはどうしていたのだろう。

母に聞いてみた、母いわく「私も一緒に行く」

私「仕事があっても?僻地でも?」、母「一緒に行く」

私「相手が1年で戻ってくると言っても?」、母「一緒に行く」

私「なんで?」

母「体が離れると心も離れる、人はそれほど強くない。以上」

とにかく一緒に行くと言うのだ。全てのケースでそれがベストとも思わないが、その意思は結構堅そうではある。うーん、そうか・・・。
母の青春時代から時は過ぎて、現代では通信手段が驚くほど多くなり多少の距離は問題にならなくなっている。飛行機も格安チケットを出している。
だから離れていても大丈夫・・・・・ではない。

やはり「距離」は怖い。5キロは5キロなりの100キロは100キロなりの「距離の力」というのがある。
愛おしさや優しさを伝えるのには「短い距離」の方が力を発揮する。手紙や電話で伝えるよりも、しっかりと抱きしめる方が伝わりやすいのだ。

反対に、冷静さを取り戻したり、何かをあきらめたりする時には「遠い距離」の力が有効に働くことになる。
喧嘩した恋人達が、よく使う言葉に「距離をおいてみる」というフレーズがある。そう、「距離力」を使って冷静になろうとしているのだ。
遠距離になった二人は、望む望まないに関わらず、近くにいた時より冷静になる。距離力が働いてしまうのだ。

皆さん覚えがあると思うが、仲良くつないでいた手を離したときに胸をかすめる距離感と言うか喪失感のような感覚。
ほんの数センチ離れただけなのだが、繋がっているのと離れている状態では、全く違うのだろう。
やはり恋人とは繋がっていたいのが本音だ。

「逢いたい・・」と言われてから逢うまでに3日と5時間もかかったら、相手の気も変わるだろう。
「逢いたい」という言葉の前には「今すぐ」が付くのだ。
しかし皆さん、恋には「情熱」という武器がある、これは強い。

この武器は遠距離力に対しても引けを取らず、二人の恋を守ってくれる。心強い味方だ!・・・・そう、1年半くらいまでなら。
情熱には寿命がある。恋愛初期の花も嵐も踏み越えるあのエネルギーが情熱だ。1年半くらいの間に徐々に沈静化してゆくのが普通だ。「前ほど努力してくれない」と感じるようになる。

情熱だけの恋がいつか本当の恋愛に姿を変えるのであればいいのだが、情熱頼みの遠距離恋愛にとっては辛い。
「遠距離力」は時がたつほど強くなる、それに引き換え弱まる情熱力。勝負の行方は見えてくる。

遠距離恋愛は避けられれば避けた方がいい、でも色々な条件でそうなってしまった場合は相当努力が必要だ。
長くなればなるほど壊れやすい。遠くなればなるほど壊れやすい。壊したくなければ少しでも近づく事だ。早くこの不自然な状態を解決する勇気が必要だ。大きなものを失わないためには小さいものをあきらめる潔さが必要になる。
遠くの恋人より近くの合コン相手、何てことになりませんように

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遠ざかる海

お盆も過ぎて日本中の夏休みが終わりかけた頃、ここ数年我が家の恒例となっている「海水浴」に出かけた。
4年前に半月ほど国内放浪をしたとき、たまたま泊まった船宿の漁師料理と宿のまん前にある小さな海水浴場の風景が気に入って毎年行くようになった。

そこは新潟県の能生町という日本海沿いの小さくて静かな町だ。宿は元漁師のおじさんとその奥さんの2人で切り盛りしている。
お客さんが多いときはアルバイトも雇うようだが、私達が行く時はいつも他に誰もいないので、おん年80歳になるおじさんと二つ三つ年下の奥さんが世話をしてくれている。

今年も案の定、他にお客は無くお二人の世話になったのだが、宿の変わらなさに相反するように付近の風景が大きく変わっていた。
去年までは、宿の前の道路をはさんですぐの所に海があったのだが(宿と海の距離、約10メートル)今年は海が随分遠くになってしまっていた。埋め立てた土の上にシャベルカーや運搬用トラックがうろうろしている。

奥さんがお茶を出しながら話してくれた事によると、もう何年も前から埋め立てる計画があったのだが、なかなか予算が下りずにそのままになっていたらしい、それがここのところアレヨアレヨと予算が付いて、バタバタと工事が始まったという事らしい。
確かに台風や高波などを考えると一概に埋め立てるなとは言えない気がするし、なんであれ私達無責任な観光客の口出しする事ではない。
ただ、80歳になる御主人は色々と思うところもあるようだ。彼は今でも釣り舟にお客さんをのせて海に出ることがあるのだと言う。釣り好きの常連を乗せるのだがそんな時は相変わらずな海の男ぶりを発揮している。

そんなおじさんがまだ若かりし頃、海は船宿の真横にあったのだ。窓の下に船を付けて家から直接乗り降りしていたらしい。
蛸が面白いように捕れて、おじさんは蛸捕り名人と呼ばれていたという事だ。その後、戦争から帰って少し経つと船宿と海の間に道路が出来て護岸工事もされて、蛸は随分少なくなったと彼は言う。

そして今回50メートル程の埋め立てが行われて巨大なテトラポットが海に並べられた。土地の整備が終わったらそこは駐車場や花壇になるらしい。
元々は蛸の棲家だった海が跡形もなく消されてしまうのだと思うと、蛸の酢の物を食べることも心苦しい・・訳ではないが、生態系の変化は避けられないのだろうと思う。

この埋め立ても今回で終わりではないらしい。最終的には更に50メートルほど先にある堤防まで埋め立てるらしい。
今は小さな湾があるのだが将来的には湾の大半が埋まってしまうというのだ。
おじさんは海を見ながら独り言のように言った。「海がどんどんと削られてゆくなあ」

80年間見続けた海が陸地になり駐車場になり花壇になって行く、ここはおじさんにとって生活の場所で遊び場で人生の舞台だったのだと思う。
今年、シュノーケルで海に潜ってみたらビックリするほど大きなボラの群れに出会った。それも足がつくような浅いところだ。生態系の変化はもう始まっているようだ。

この船宿も叔父さんの代で終わるらしい、「いつまで出来るか分からないけど、又おいでください」と言われると少し寂しい気がする。
だけどあの美味しい料理とおじさんの独り言に会うために来年も来る事になるだろう。その時、海はどんな風景になっているのだろう。


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堪忍してね 

 

同窓会の葉書が届いた。今回も私は欠席、たぶん次回も、その次も。私は過去の人間関係にあまり興味が無い。

学生時代の親友ともすっかり疎遠になっているし、会社勤めの頃の同僚ともつながりは僅かだ。別れた男達とも会う事は無いし、ましてやその友人たちと関わりを持つ気も無い。

何故かはよく判らないのだが、過去を共有した重さがあまり心地よくないのだ。その時点においては、とても強い繋がりをもてるのだが、その時代の終了と共に人間関係の結び目を解いてしまうようなんだ。

個人的な人生観だが、私の生涯は10幕程度の戯曲のような気がしている。幕が変わるたびにその背景や登場人物が入れ替わり、時には喜劇的であり悲劇的でもある舞台が繰り広げられる。

幕の開く時のドキドキ感と、幕を下ろすときの喪失感、どちらも私の中ではエネルギーの発生源だ。嬉しくも苦痛でもある瞬間だろう。
ただ人間関係には相手がいるので、自分勝手に幕を閉じることが出来ない場合が結構あるわけで、前の幕と次の幕が変に粘っこく繋がるときがある。

どちらかに『未練』がある時など、特にややこしくなる。これは男女間のことばかりではなく、女同士の間にも十分起こる事だ。
同じ会社の同期の友人が突然、将来の夢に向かって具体的に動き出したときなど、こちらは置いてきぼりを食ったような気がする。

ちょっと前までは一緒に合コンして男たちの品定めに夢中だったあの子が自分の人生を開拓しだしたのだ。何でも話していたつもりなのに、彼女だけが前を歩いているように見えてくる。

あるいは、せいぜい自分程度かそれ以下の魅力しかないと思っていた友達が、人もうらやむような結婚を決めたとする。色あせて見えていた彼女がきらりと光って見えてくる。
こういう時には、彼女たちの次の舞台を見たくなるものだろう。夢は叶うのか、それとも挫折するのか、幸せな結婚生活を送るのか、それとも苦労の連続なのか・・。

夢に向かった彼女と、結婚を決めた彼女の中では、今の人間関係は幕を下ろしても良い関係だろう。しかし回りの人にとっては、次の幕が気になるのだ。
だがその人たちも又、自分自身の夢に向かいだしたり、平和な結婚をしたりする事で次の幕へと進んで行くことになるのだろうけどね。

私の10幕の戯曲の中では、いつもその幕に似合う背景があり、気の合う相手役がいて騒がしいけど、全幕通して出演するのは、間違いなく私一人であり私が不在となる事である日突然、最後の幕が閉じるのだ。
そう思うと、今演じている幕の中では今の共演者の事だけを一生懸命考えていればいいと思う。閉じてしまった幕の登場人物に執着しなくてもいいような気がする。

誤解しないで欲しい。今の私は過去の登場人物との出会いによって、こうして元気にいるのだ。執着はしないようにしているが感謝はしている。愛してもいるのだ。

用事の無い電話はしないし、同窓会にも興味は無い、時には薄情者とそしられたりもするが、価値観の違いにつき、堪忍してもらいたい。
最後の幕が下りてカーテンコールの時に一人一人の顔や声を思い出すのかも知れないね。でも、とにかくそれまでは薄情者を続ける事になりそうだ。ゴメン

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携帯電話が鳴っている


恋人や旦那に怪しげな動きがあって、つい携帯電話の着信や発信のチェックを入れてしまい、知らなくてもいいようなことを知ってしまう場合がある。そういう時は、どう切り出そうか迷ってしまう。

腹は立つが、覗き見をしたという後ろめたさもある。思い悩んだあげく、関係のないことで絡んで大喧嘩になり、売り言葉に買い言葉で「じゃぁ、あの女は何なのよ!あたしはみんな知ってるんだからね!!」・・・、最悪の状態が訪れる。

恋人や亭主の浮気のことで相談を持ちかけてくる人には、たいがい似たような経験があるようだ。もっとも、相談を受けている私にだってあるんだ!(えばってどうする?)

中には凄い人もいて、ばれたら「自分の携帯と間違えた」と言い張るために、同じ機種のものを買って毎日欠かさず相手の携帯をチェックしている努力家もいる。

ただ、どうなんだろう。相手のことをそこまで知らなくても良いような気もするし、もし自分がされる側なら本当に嫌な感じがするだろうなぁ。
何故こんなことになってしまったんだろう。

携帯の普及で人間は待望のテレパシーを手に入れた。
子供の頃に見ていた漫画やSF小説でお馴染みの超能力だ。その定義から言うと、「遠く離れていながら、いつでも瞬時に心が通う能力」という事だ。
ちょっと前までは、お互いが電話の前に行儀良く座って、はじめて遠くの人との会話ができたのだが、今はいつでも何処でもいいのだ。

人はテレパシーの能力を得るために脳を研究し解明してゆくよりも早く手軽に、そのための機械を開発したのだ。そして、それに人は群がった。
じゃぁ、どういう時に人は「遠く離れていながら、いつでも瞬時に心が通う能力」が必要になるのだろう。ひとつは心配事を抱えている時だろう、病人がいたり、犯罪に巻き込まれそうだったりする時は誰かとつながっていたいものなのだ。

あとの大きな要素といえば、やはり恋愛だろうな。

恋の定義の中に「好きの度合いと携帯電話使用頻度は正比例する」、という素晴らしく的をえたものがあるが(真偽は不明^^;)、なるほど恋する男女には欠かせない物だろう。

まぁ、2人の愛を育んでいる間はいいのだが、そのうち他の人とも育みたくなってしまう困った人も現れる。それは世の常かも知れないけど人はそんなに物分りが言い訳ではないから、つい携帯のチェックへと進み、やがて妙なことになる。

相談に来る人の中には、相手の携帯番号だけしか知らない人もいる。最近はそういう人が多くなったようにも感じる。電源が切られていれば全くの他人になってしまう関係だと気づいているのかどうか、何しろ際どい関わり方なのだ。
携帯は2人だけを密接に繋ぐので、つながり度は強いのだが一度電源が切れると跡形もなく関わりは消え失せてしまう。もろいのだ。

その点、何年か前までのように彼の自宅に電話をかけると云うことは、密接ではないが、確かな関わりが発生する。必ず出てくるのは母親で、何がしかの挨拶のあと「伸ちゃんー電話よー」等と彼を呼ぶ声が聞こえたりする。

絶対電源の切れない電話がそこにはある。話をするときも彼の家や部屋を思い浮かべながら、間違いなくその場所にいる相手に安心していたのだ。

電話は機械だった時代を超えて、体の一部になりかけているようだ。誰かと繋がりたいと心が指令を出せば指先が反応して、求めている相手を呼び出す。
わがままな心の指令に一生懸命応えている。理性の出る幕がない。

つながることが容易になった分、薄っぺらになり、繋がっているのか、いないのかの境界線も見えにくくなってしまったように思える。一方は繋がっているつもりでも片方は全くそうではない場合もある。
こうして携帯は無遠慮に鳴り、無遠慮に切れる。

確かに携帯電話は便利だと思う。だけど着信履歴だの発信時間だの、あれもこれも残すことはないんじゃないの?今まで別に困りもせずやってきたのだからさ。おかげで、携帯チェックの彼女たちが今日も又眠れないことになるんだ。


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犬さらいを考えている

近所に懇意にしている犬がいる。私は彼をポチと呼ばしてもらっているが本名はもっと強そうな名前らしい。
普段は大変おりこうで、無駄鳴きはせず、新聞勧誘員のお兄さんやガスの検針のお姉さんにだけ、きっちりと吠えている、番犬を自認している働くペットなのだ。

そんな彼がある日を境に狂ったように吠え続けるようになってしまった。眠っている時以外は大声でキャンキャンと誰も居ない空間に向かって吠え続けているのだ。
近所は割と静かな住宅街なので彼の声はひびきわたっていた。なんなんだ、どうしたんだ?

仲良しのよしみで、そっと聞いてみたが、まるで人間の言葉が通じないかのように彼はわめきつづけた。(通常、彼の言語理解力は女子高校生程度はある)
彼の動作を観察するとどうやら表に出たいらしい、フェンスの下の狭い隙間に鼻を突っ込み出たい、出たいと身悶えしているのだ。何度か逃亡にも成功したようで、公園で見かけたりもした。そんな日は元の彼に戻っておとなしく寝ているのだ。

私の知っている限り彼のペットとしての環境は良くない。まずは散歩に連れて行かない。少なくとも私と知り合ってから4年間、1度もいっていないようだ。
小さな庭で放し飼いなのだが、いくら物分りの良い犬とはいえ飽きるだろう。飼い主に愛がない。いつも孤独な目をしてドッグフードを食べているのだ。

そんな彼が騒ぎ出したものだから、飼い主はあわてた。しかし何故か散歩には連れて行かない。そして彼らが選んだ方法は、閉じ込めることだった。
フェンスや門扉の隙間にペットボトルやプラスチック製の子供用ソリを括り付け、彼の首輪には長いロープがつながれてしまった。「絶対に外には出さないぞ」という宣告のようだった。

彼は鳴いて泣いて、吠えて吼えた。仲良しの私でさえ、どうにかしてほしいと思うような日々が続き、やがて鳴かなくなった。死んだわけでは無い、諦めたのだろう。生涯をこの小さな庭で過ごすことを受け入れるしかなかったのだろう、犬だから・・・。

さて、この家には娘さんがいて、今で言う「引きこもり」状態が続いている。時々、大声で何やら騒いだり、暴れたりしている。お気の毒だがそのせいもあってか、近所づきあいは全く無い。

閉じ込められる犬と閉じこもる彼女、両方とも切なくてならない、内側へ内側へというその家庭を思うと宇宙の暗黒、ブラックホールを連想してしまう。
娘さんのことはよく知らないので何ともいえないが、友犬のポチについては少しは愛を持って接してもらいたいものだと思ってる。いくら賢くても彼の自立はあり得ないのだから。

ポチ君、私が引っ越す時にはぜひ君をさらって行きたいと思ってる、来るかい?

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楽しく悩む

我ながら、親しくしてもらっている友達の年齢層の広さには感心する事がある。
10代後半から70代後半といったところか、その差60年ということは日本が昭和を迎えてから2回の戦争を越えて、グジャグジャになって、その後高度成長期があり、バブルの絶頂を迎えた昭和60年までの長さがあるわけで、歴史的な長さに思えるね。

そんな歴史的隔たりのある友人達をみると、わが身の一生を見る思いがある。総じてみーんな飲食好きで、話し好きで、人好き、(10代後半の飲は甘酒程度にしておかないとまずいが)と共通点は多い。
そしてみんな、それぞれの悩みを抱えている。

10代は恋と進路が圧倒的に多いが、中には育児問題というツワモノも居たりする。20代から30代は仕事、結婚、お金の悩みがついて回っているようだ。

40代を迎えると自分以外のことも心配しなければならなくなる。家族である。それは子供だったり老齢を迎えた親だったり、女房や亭主と言うこともある。何しろ回りのことが忙しい。その上、借金や不倫でも抱えようものなら体が3つは欲しくなる。(一番良いのを不倫に当てる、たぶん)

50代あたりから健康が気になり始め、60代では話題の中心に収まる。だんだん徐々に色恋沙汰の悩みが減り(悩まなくなるのであって、色恋沙汰が無くなるわけではないよ)、家族のことも一段落つき始めるようだ。

さて、私の友人の中で頂点に立っている何人かの70代は何を悩んでいるのだろうか。何だかますます盛んで、飛んで歩いているような人が多い。
健康については、すでに『いつもどっか少し悪い』状態で安定している、と言うし、飲んだり食べたりを一緒にすると羨ましいくらい美味しそうにしている。

一番元気で一番高齢な友人と話しているとやはり自分の「死にっぷり」は気になると言っていた。どういう風に気になるのかは分からないがカッコいいと思う。様々な年齢の友人達は、私のタイムマシンのようで10代と会っている私は10代に同期するし60代、70代との時も同期している自分が居る。

全てが自分の中にある要素なのだと思う。「恋や進路」から「死にっぷり」まで私の中にある悩むべきことなのだろう。花が1つづつ開くように、時がくれば「悩み」という名前の心のつぼみがポツポツと開いていくのだろう。

今、色々な事を抱えて苦しい思いをしているかも知れないけど、「悩み」という花を咲かせることでその後に必ず実がつくことを覚えておくといいかもしれない。私も、カッコいい死にっぷりに至るには、まだ沢山の花を咲かせなきゃならなそうだなぁ。

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考古学的女人物語(おじさん、埋めちゃ駄目だってば


私は、自分の性格をいたって新らし物好きのミーハーだと思っている。

でも何故か今回の「石器埋めちゃった事件」には少々考えさせられてしまった。考古学というのは確かに魅力的な学問だと思う、天文学や心理学と同様にその学問の大半が推論の域を出ない。そう、とてもミステリアスなのだ。

今回の埋めちゃったおじさんは論外としても、数千年、数万年、数十万年前の物を目の当たりにした時、誰もが皆、連綿と続く人の歴史に心をはせるのだろうな。

日本の古代史に登場する女性の中で、えらく好きな人がいる、額田王だ。「ぬかたのおおきみ」と読むのだが、別に王女様ではない。
645年、中学の日本史で習った事など皆さんとっくに忘れていると思うけど、大化の改新だ。そう言ってもほとんど思い出さないと思うけど、天平時代以前の出来事だ。

その時代に颯爽と、又我儘に生きた女性が額田王なのだ。この時代には珍しく仕事をもつ、ワーキングウーマンで職種は巫女、イタコ、歌人、占い師、心理学者などの混合で、時の天皇(この頃は大王だったらしい)に代わり、歌を詠んだりイベントの時の記念歌を作ったり、多忙だったようだ。

その多忙な仕事をも蹴散らして尚、余りあるのが恋模様だ。ナカナカスゴイ。
時の女帝に2人の息子がいた、強い長男と優しい次男だ。この次男が額田王に恋をした。若き日の額田はその優しさに惹かれて彼の子供を産んじゃうのだが、やはり神職の身なのでヤバイのだ。

こういうスキャンダルには、あちらでコソコソこちらでグチグチと女の世界はうるさい。仕方ないので彼女は自分の娘は「樹齢数百年の藤花の精との間にできた子供である」とか何とか、とにかく神がかりにしてしまったらしい。
藤花の精の子なら額田王が産んでもおかしくない、ということになったのだから古代は良い。生きるものが全て、ある種の平等でいられたのだ。

その後、少し時が過ぎて優しいだけの弟より、強さが魅力の兄が額田の前に現れる。二人は急激に恋に落ちる事になる。えっ!・・・・弟の立場、どうなんのー?そんな事はしらない、恋しちゃったものは仕方ないのだ。時の最高権力者の前には弟といえども身を退くしかないのだ。(兄はすでに天皇を継承)

その頃、天皇に見初められれば後宮に入るのが当然だが額田はこれもしない。たぶん自由でいたかったのだと思うが相変わらずイベントソングなどを作って神職の身を捨てない。経済的自立状態は守っていたようだ。

そして、どうやら時々は娘の父親(藤の花ではない方の)とも会っていたらしい。万葉集の中にある彼女の歌で、密会の匂いのする怪しいのがあるのだ。
彼女が本当は誰を愛していたのかは、今となっては誰も解からない、しかし歴史上に姿をあらわしていた時期の額田は時を越えて尚、魅力的だ。

媚びず、頼らず、縛られず、自分を自分らしく生きた女性だ。
遠い昔の話なので逸話の詳細は想像に頼るしかないが、私はいいと思っている。できればもっと魅力的に作り上げたいくらいだ。私達女類の1300余年先輩にこんなに凛とした素敵な人がいたことが嬉しくてならない。

彼女は12首の優れた歌を残して歴史の舞台から姿を消すのだが、今もその歌には恋する女の艶やかなエネルギーが溢れている気がしてならない。
歴史というのはある意味で作られる部分がある、誰でもよりドラマティックに、より魅力的にしたいんだ。そして、それ自体はとても良い事だと思うんだ。

でもねぇおじさん、やっぱ石器を自分で埋めちゃ駄目だよ。
日本考古学の歴史の中にあなたの名前は残ることになるけど、それはたぶん「時空の詐欺師」という名目だね。・・・・現代は少し悲しい時代だね。 ふぅ

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荒天荒波成人式

21世紀早々、成人式が荒れたらしい。数年前から、何やら雲行きが怪しくなっていたのだが、逮捕者まで出て、いよいよくる所まできた感じだ。

暴れた彼らはお馬鹿さんだが、逮捕されるに至って、たぶん生涯忘れられない日になったことだろう。願わくば、奇跡的に賢くなって、まっとうな社会人になってもらいたいものだ。

何だか成人式の日って雪とか雨とかが多いように思うのだけれど、どうして1月になったのだろうか。3月とか4月とかでも良かったのではないかと思うのだが、どうしてだろう・・・。

皆さんは自分の成人式の日の事、覚えてますか?何してました?

昭和XX年1月15日、恥ずかしながら私も晴れて成人の日を迎えた。
ただし、会場にも行かず晴着も着てはいなかった。
場所は何故か佐渡島の突端、願(ねがい)部落という所。
15の春に友達になって以来、現在に至ってもまだ(?)友人でい続けている悪友のケイちゃんと一緒だった。

市役所の手違い(だと思うが・・)で、「成人式ご招待葉書」が私の元に届かなかったことが私をいじけさせ、「こうなったらケイちゃんと一緒に、思いっきり暗ーい成人式をしてやる!」と決心したのだ。

今思えば、ケイちゃんには悪かったかもしれないなぁ。ハハハ
そんな訳で最も、暗そうな土地を検討熟慮の結果、佐渡島に白羽ならぬ黒羽の矢が刺さってしまったのだった。(佐渡の人、ゴメンね)

しかし、おもわく通り日本海は荒れまくり、暗い雲が立ち込めてフェリーは大揺れ、期待をはるかに超える上出来だ。
両津港には、予約をした願部落の民宿のおじさんが自家用車で迎えに来てくれていた。冬場はバスも通わぬ(その頃は)場所なのだ。
お客も他にはいないと言う、ヨシヨシ。

願という所は、夏場はいいリゾート地だと云うことだったのだが、冬場は誰も居ないし暗くて淋しい事この上ない場所だった。
「三四郎旅館」というその宿にもほとんどお客さんの姿は無く、やけに広い部屋を二間も使わせてくれたりもした。

宿の前はすぐに海だった。小雪が舞う日本海の浜辺でドテラ姿の小娘二人、濁り酒など酌み交わし将来の夢やら、まだ見ぬ恋人の事など話していたのだが、酔いの勢いも手伝って「佐渡名物、流人金塊」を1つ2つ拾っていこうじゃないか、という話になった。

二人はヨタヨタと立ち上がって、いかにも金塊が埋まっていそうな黒っぽい岩場に向かった。砂地の海岸沿いが次第に硬い岩場になり、もう少し歩くと突然に洞窟が現れた。
何だか、金塊がありそうな雰囲気ではなかったのだが妙に心惹かれるものがあり、小娘二人はそっと覗いて見た。

「うわぁ!」「ありゃ!」同時に声が出た。
薄暗い洞窟の中には100をゆうに超えそうな夥しい数の地蔵群が、原色の布や帽子や風車等の玩具に囲まれてたたずんでいたのだ。耳を傾ければ波の音に混じって、ざわざわとした話し声が聞こえるような錯覚に見舞われた。

しかし、私達は不思議と怖さを感じることも無く、どちらかというと心地良い空気に触れた気がしていた。日本海に向かって開いた洞窟は誰かの身代わりのお地蔵様を受け入れて、再びこの世に送り出すまでの心地良い胎内のようにも思えたのだ。

宿に戻って洞窟について、おばあさんに聞いてみたのだが、昔は本土を見る事無く死んだ子供の為に、今は色々な事情で、生まれて来られなかった子供の為に、という事のようだ。

波の音に包まれて床に入った20歳の小娘二人、自分が生を受けてから、今日まで幸せに生きてきた事をあらためて実感した(かも知れない)夜だった。

その後、常日頃の心がけのせいもあってか、数々の災難が重なり合って私達二人は佐渡島の風雪の中、海岸沿い30キロの道程を命がけで歩く事になったのだが「若気の至り」の忘れてしまいたい過去は封印しておく事にしよう。

しかし、そのお蔭で私達の成人式は、思う存分暗くて辛い(これは予定外)ものとなって、私達的には、初志貫徹となったのであった。
成人式の頃、殆どの人が恥ずかしいくらいお馬鹿さんだったよね。
新成人さんたちも、荒天荒波乗り越えて、素敵な人になって下さい。
         ガンバレ、小娘!  がんばれ、小僧! 

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今、あの扉の向こうで


子供の虐待のニュースがテレビで又流れている。
熱湯につけただの、お腹を踏んだだの、投げたの蹴ったのと、耳を覆いたくなるほどのひどい虐待ばかりだ。

テレビではレポーターと名乗る人が、マンションやアパートの前で、暗い顔をしてその有様を伝えている。そして、いつものように事件現場になった部屋の、その冷たそうな扉がアップになる。
事件になって初めてその子供の不幸が、その扉の外に出る訳だ。

それまでの長い時間、子供の不幸は冷たい扉の中に押し込められていたのだ。今も又、どこかの扉の中で子供の不幸が繰り返されているのかと思うと、激しく気が滅入ってしまう。

雑踏に出たり電車に乗ったりすると、ふと感じる事がある。
「あぁ、この人達は皆どこかの扉の中に帰ってゆくのだ」
それらの扉の中では様々なことが起こり、ひたすら隠されている。
「身内の恥」という言葉の中にいくつの悲劇が隠されてきたことか。事件直前のでき事は今、隣で起きていても不思議はないのだ。

大人同士なら、いざとなれば逃げる方法もあるかもしれないが子供や赤ん坊には、扉の外に居場所はない。地獄であろうとたこ部屋であろうと、そこにいる以外の方法はないのだ。

幼児の頃の親への愛着や依存は本能的なものだ。虐待を受ける子供は、その感情を否定され続けることになる。1番頼りにしている人が自分を傷つけ続けるのだから、感情が著しく混乱するのだろう。

一説によるとそういう子供は多重人格を起こし易いらしい。
虐められている自分を客観的に見る能力が発揮されて「自分のことではないのだ」と自らを錯覚させてしまうらしい。
悲しい能力だが、精神を壊さないための自衛手段だということだ。それが脳に深く刻み込まれて、ある日発症するのだろう。

マスコミには子供を虐待する若い親を育てた、現代の社会を批判する声もあるが、やはり「ふざけるな」と言いたい。
あの無知な親達は子殺しや虐待の犯罪者として、取り返しのつかない人生を歩めばいいのだが、これから数十年の人生が始まる子供達は、犯罪者の子供であり被害者でもある重苦の人生を送ることになるのだ。(死んだ子はそれすら出来ない)

そして体の中には、多重人格の地雷を埋め込んでいるかも知れないのだ。
虐待と躾のラインは難しい。愛があるかないか、なんていう生易しいものでもないだろう。
子供を怒るときは、誰でも多かれ少なかれ感情的になっている。理想的な怒り方なんて出来るわけがないのだ。

ただ相手が圧倒的な弱者である事を認識さえしていれば、躾の名を借りた折檻にはならないようには思う。空手やボクシングの経験者は素人に手を出さない。出せば致命的であることを知っているからだろう。

大人が幼児を叩いたり蹴ったりすることは、無抵抗な素人がボクサーに叩きのめされているようなものなのだから、命だって落とすさ。
虐待する人間にも、なにやら理由はあるかも知れないが、それは無抵抗な素人を叩きのめしたボクサーの言い訳より、聞きたくない。

新聞には「ハムスターに触ったから」とか「着替えが遅かったから」とか「自分になつかないから」とか書いてあるのだが、本当は「誰も見ていなかったし、子供は誰にも言わないから」だろう。

その証拠に雑踏で子供を踏みつける奴はいないし、人前で子供に熱湯はかけない。全ては、誰も見ていない扉の向こうで起きているのだ。

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最後の相談者

その電話の主は、話し声に妙な色気があり、驚くほど丁寧に挨拶をする男性だった。
「先生、お忙しいところ私事でお手数をおかけいたしますが、なにとぞ宜しくお願い申し上げます」

最近そんな挨拶をされる事がほとんど無く、たまにあったとしてもその後には、墓を買えだの小豆を買えだのと言って来る輩か、選挙がらみのオヤジ達に決まってる。
しかし、その人は不動産屋でもなければ、先物取引の営業マンでもない、ましてや選挙の候補者であろうはずが無い(と思う)。その日最後の相談者だった。

彼は言う「2年前に別れた妻が連れて行った子供達が、今無事に暮らしているのか、とても気になるのですが・・」
別れた当初、奥さんに男がいた、その男がどうしようも無い奴だったというのだ。その後色々探したのだが行方がつかめないと言う。

養育費もろくに払わず行方知らずになってしまう父親が多い昨今、ナカナカ良い心がけじゃないの。

私「奥さんの実家とか、ご連絡は取れませんか?」

男「イヤーみんな私から逃げ回って・・・私もこういう男なので怖がっているかも知れないし・・・」

私「○×△??」

男「その筋の人間は、色々と誤解もされましてね」

エッ、その筋ってなんだ!ひょっとしてこの人、「ヤクザ」さん?
私、ここは気を取り直して「ハイハイ、子供さんたちは無事で元気ですよ、では、さようなら・・」

男「先生待ってくださいよ、まだあるんです。」ヤバイ、どうやら悩み多きヤクザらしい。

男「実は4番目の女房が先月、子供を産みましてね、それが可愛い女の子で私もそろそろ年貢の納め時かな、なんて思ってるんですよ」
ヤクザの世界は一夫多妻か?どーぞ、年貢でも相続税でも何でも納めてくださいね。

男「ところが半年前から愛人が出来ちゃって、これが又ものすごいヤキモチ焼きで、口説いた時に私もつい「独身だ」なーんて嘘ついちゃったもんだから、切るに切れずもう大変なんですよハハハ」

話の途中で彼の携帯のベルが鳴った。

男「先生、30秒ほど失礼していいですか」

私「ハイハイ(できたらずーっと失礼して貰いたい)」

男、携帯に出て「・・・・・おお、わかった、ちゃんと始末しとけよ!」

ヤダヤダ、いったいなに始末してんのよー、このまま電話切っちゃおうかなと思ったのだが、やめた。「彼も迷える一人の相談者なのだから、力になってあげなきゃ」等と思った訳ではない。
私としては「あのアマ、逃げやがったな!」と彼の逆鱗に触れて始末されたくはないのだ。彼が始末しとけ、と言ってたのも、もしかして私の前に彼を占った占い師かも知れないし・・・。

どーとでもなれと開き直って、相談を続ける事にした。

男「で・先生、私はこれからどぅなっちゃいますかね。」
多かれ少なかれ修羅場にはなると思うのだが、なんだか可笑しくなってしまい、ちょっと雑談がしたくなった。
「そんなに凄いヤキモチ焼きなの?」

「凄いのなんのって、おっかないですよ、手におえないんだ。」

「暴れたりするの?」

「暴れる、暴れる、大暴れですよ」

「じゃぁ覚悟するしかないわね、自分の蒔いた種だしね」

「まさか殺されたりは、しないですよね」

「それは無いと思うけど、それに近い事が起きないとは言い切れないかもしれないような気がしたりして・・・ナンマンダブ」脅かしてやった。

彼は現在、やばい事があって地下に潜ってるという。でも出来ればその筋はその筋なりに平和(?)に暮らしたいと言う。

私は堅気なのでその筋の事に付いては良く知らないが、4番目の奥さんと可愛い女の子のためにも、その筋なりの平和を願う事は当然だと思うし、頑張って欲しいと思っている。

ただし、その前に愛人さんとの事を解決して、彼女を開放してあげる責任がある。超男社会の中では「男」を張って生きているのだと思われる相談者だが女にとっては困ったものだ。精進努力して本当のいい男になって貰いたいものだと思う。

ごく普通の社会で生きているごく普通の家庭の中でも裏切りがあったり暴力があったりする現在、なかなか平和な暮らしを持続する事は難しい事だ。
男が男としての知恵を持ち、女が女としての勇気を持つ事から全て始まると、私は思っている。

その日最後の相談者は、話の途中で急用が出来たらしく「先生、また御連絡いたします」と言ってあわただしく相談を終えたのだが、その筋の人の急用というのは何なのだろう。
袖擦りあうも他生の縁、私はせめて彼の無事を祈る事にでもしようか。


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桜がすきだ!

今年も狂おしい季節がやってきた。つらいんだ、この季節・・・・・・。いつも恋はこの季節に始まってしまったし、家出を決行するのもこの季節だった。

とりあえず私は何もかも桜のせいにしている。桜さえ咲いていなければ、あんな男に惚れたりしなかったはずだ、とか、桜が咲いたばっかりについ家出をしちゃった、とか言い訳になろうがなるまいが、とにかく桜のせいにしてみる。

これが結構きまる。文学的でもあり、芸術的でさえある。たとえば「桜」を「犬」に置き換えると、『あのポチが鳴いてさえいなければ、あんな男に惚れなかったはずだ』、これでは、相手は泥棒になってしまうし、『ポチが鳴いたばっかりについ家出しちゃった』だと毎日家出をすることになる。

よって、桜は犬よりも文学的かつ芸術的なのだ。まぁいい(なにがだ?)、とにかく私は桜が好きで好きで、もうそれは信仰にちかいのだ。前世は桜だったのではないかと常々思っている。

古代「さ」という言葉は「神様」と云う意味で使われていたらしい。「くら」は「座」という意味だ。つまり「神様の座る場所」が「さくら」の語源らしい、満開の桜の木には神様が座っている、確かにそう見える。特に一杯飲んだらよーく見える・・・・。

桜にはスキャンダラスな噂もある。「桜の木の下には死体が埋まっている」というのだ!でどころは某有名作家だ。ガセネタとも言い切れない気がする。何故なら昔のお墓の周りにある桜は恐ろしいほど綺麗なのだ。うん、たぶん埋まってる。

5年ほど前までは「私の桜」をもっていた。これだ、と決めた桜に名前を付けてかわいがっていたのだ。寒い時期に決めるので咲きっぷりは判らないが、それでいい。春が近づくにつれ木全体が赤みを帯びて、私に宣言する『今年も咲きます』とね。

ここまで書いて、3日が過ぎてしまった。何をしていたかと云うと、1日目、谷中の墓地に桜見物、2日目近所の公園で亭主と一緒に夜桜見物、3日目埼玉の森林公園と云う夢のような桜の名所で花見。満腹なくらい桜を見て、お酒を飲んだ。友情や愛情は今ひとつ信用できない部分があるが(長く生きていれば良くも悪しくもそうなる)来年の桜は漠然と信じている。

来年同じ友人と見るかは判らないし、同じ亭主といるともかぎらない。ただ生きてさえいられれば、どこかで誰かと見ることだけは確かな気がする。私は信仰をもたないでいるが、たぶんその気持ちは理解できるとおもう。

決して裏切らないものの存在を知っているし信じている。あと何回桜が見られるのかわからないが、私が生まれるズーっと前から咲きつづけているのだし、私がいなくなっても延々と咲きつづけて行くのだろう。

とてもかなう相手ではないのだからせいぜい楽しませてもらうことにしよう。
さて、散歩にでも出て、今年の桜にお別れを言ってくるかな・・・。


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山姥娘達に思うこと


たまに繁華街をウロウロするとドキドキしてしまう事に出会ったりもする。
綺麗なカップルがイチャイチャしながらチャラチャラしているのは、イライラさせられるだけだが(今日はカタカナ繰り返し系が多くなりそうだ)山姥ちゃん達にはワクワクさせられる。

はじめて彼女達を見たときにはホントに驚いたが、今は何だか大好きなのだ。彼女達が何で気色の悪いメークと厚底靴になっていったのか、同じ顔で同じスタイルになりたがるのか、考えれば考えるほど興味深いことになるんだなぁ。

少し前まで若い女性達の間では援助交際なる金銭付き男漁りを繰り返す輩がいて随分とヒンシュクを買っていていたように思う。今は大分影をひそめたように感じるが、今も続けているのは一握りの本当のお馬鹿さん達くらいだろう。

その点、山姥ちゃん達のいさぎ良いこと!
なんと言ってもあのメークは男の人の9割8分が嫌っている。あとの2分は、まだ口の利けない7ヶ月未満の赤ん坊だろう。その事を彼女達は百も承知なのだ。(たぶん・・)その昔、「黒髪は女の命」とか「色が白いは七難隠す」とか云われてきた。その女の武器をバンバン投げ捨てて『男達の評価』からかるーく抜け出して、女の子同士で本当に楽しそうだ。

男にモテル、という女性達の命題を笑い飛ばすようなあのメーク。軟派なんかされてたまるか(するのは別)男なんか見上げてたまるかと云うようなあの靴。見上げたもんだ。色白で華奢で清潔感があって守ってあげたくなるタイプ。私も随分長いことこのタイプに憧れて精進努力を重ねてきたが、努力に反して段々離れて行くような気もする。でも、女の人はいつから「守られたい症候群」が始まったのだろう。

大昔、平塚雷鳥さんという婦人運動の先駆者がいて「元始、女性は太陽であった」と言い今は他の光によって輝く・・と嘆いて居た。彼女は1886年生まれなので、たぶん80年も90年も前に考えたことだろう。

昭和40年代にはウーマンリブの運動が起きて、ヘルメットにノーメークの運動家達が活躍していた時期もある。理屈っぽい高学歴の女史達がマスコミに続々と登場しては消えていった。そして運動自体も沈下していってしまった。

世紀末を迎えた今、理屈は無し、節操無し、無敵の現役女子高校生、人呼んで三無主義、山姥娘達の登場だ。姿も又、雷鳥さんが望んだ元始(原始)のメークそのままで自分達で御気楽に輝いている(ラメで)、行け行け山姥、もっと行け。

お父さんやお母さんも、もし自分の娘が山姥系なら「あぁ、この子はモテル事を拒否し、軟派の餌食になることを断固として受け入れないスバラシイ子かもしれない」と年に1回くらいは思ってあげてはいかがでしょうか。難しいとおもうけど。


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嫉妬(男性はメモをご用意ください)

ほとんどの女性は自分をヤキモチ焼きだと自覚している。

10代から60代後半まで、私の相談者のほとんどが自分のことをヤキモチ焼きだと言う。

この感情って学習によってコントロールする事は出来ないのだろうか。

恋も何回か経験するうちに自分の恋愛パターンというのがあることに気がつく。
「あの時、あんな事で失敗したのだから今回は気をつけようっと」等と、少しは賢くなるものだろう。
しかしながら、嫉妬、ヤキモチ、ジェラシーについては、何語で表したとしても制御不可能、コントロールのしようの無い代物らしい。

我が親友は良家の御息女なのだが、その激しい嫉妬心が災いして波乱万丈の(なかなか楽しそうな)人生を送っている。好きになったら命がけの人なので相手のよそ見や邪魔者に対しては「絶対に許さない」という姿勢を貫いてきた。

おかげで今まで婚約4回、婚約解消4回という栄冠に輝いているのだ。
現在は30歳ほど年上の人間国宝(ホントヨ)と付き合っているが、時々彼の
ことも「よそ見をするな」と怒鳴っているらしい。

しかし、彼女のように嫉妬心に負けないタイプの人間は少ない。
たいがいが嫉妬によって愚かな行動に出たり必要以上に臆病になって
しまったりするのだ。

彼氏の昔の恋人に嫉妬する人は実に多い。男も迂闊に写真を残したり電話番号をとっておいたりするものだから、痛くも無い腹を探られる事になる。

「彼が元彼女を引きずっているように感じる」

「私といても元彼女の事を考えているように見える」

「私に隠れて元彼女と連絡をとっているような気がする」

多くの場合、男はこんな疑いをかけられている。(男性読者は要メモ)

実際に男の方がふられた場合は、割と長く引きずるようだが新しい恋が始まった今となっては「苦い思い出」の1つになりつつあるといったところだろう。
多くの男性は引きずっているのではなく「覚えている」のだ。

御存知の通り、恋は新しいほど有利な訳で長い恋やふるい恋には無いドキドキ感がある。そのドキドキ感が前の恋を本当に終わらせてくれるのだから、せっかく彼が終わらせようとしている前恋をほじくり返す事は無い。

女性であればわかると思うが、元彼に対してはその恋の長さ分の「情」が残る。でもそれは男と女というよりも同じ時間を共有した人間同士といった部分だ。もう恋人にはなれないけど愛おしさがあるのだ。

恋を何回か経験していたとしたら、貴女も誰かの元彼女として誰かさんの嫉妬をかっているのだろうね。
そう思うと、彼が元彼女に内緒で連絡する事も殆ど無い事だし、元彼女がいまだに彼を待っているはずが無い事もなんとなく分かると思わない?

それにしても嫉妬のエネルギーは凄いものがある。
異性間だけでなく仕事や容姿や生活レベルまで、全く何にでも現れる感情だ。
そのために放火や殺人まで起こさせる嫉妬の正体ってなんなんだ。
ほとんどの女の人は自分を「ヤキモチ焼き」と認識しているけど「嫉妬深い」とはめったに言わない。

「あたし、嫉妬深いのよ」等と言われたら男はよっぽど覚悟していないと付き合えないだろう。何となく脳裏に放火や殺人もチラつく。

そのてん「あたしったら、結構ヤキモチ焼きだしー」とか言われると何となく幸せな匂いすらしそうだ。手料理と手編みのセーターとヤキモチは似てる気がする。放火、殺人、嫉妬のセットとは雲泥の差だろう。

でも、その差はいつでも逆転する。
ヤキモチ焼きの可愛い女を嫉妬深い鬼に変えるのは小さな裏切りや嘘の積み重ねだということを男達に知っておいて貰いたい。

勿論男性の中にも、いわれの無い疑いに辟易としている人がいることは十分承知していますよ。
でもね、疑われたくなければ、まずは机の中にある元彼女の写真早く捨てれば?

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呪われぬ為の心得

仕事柄かもしれないが、呪われちゃってる人に会う事がある。
私は気が弱い占い師なので、そういう人には、出来る限り近づかないようにしているのだが、やはり年に何回かは、そういう人と対峙することになる。

何故、呪われちゃっている事が判るのかというと、それはそれは我々占い師にとって分かり易い特徴が沢山あるからだ。(何だか今日は、神秘の占い師っぽくなってきたなぁ)

まず、その人は時間に遅れる。それ以降の約束がその人の為に著しく狂わせられてしまうのだ。この時点で、私はすでに疑い始める「呪われてんじゃないの〜」と心の奥深くで思うのだ。

その声は妙に高いか、変に低い。または、その両方で極めて不安定でガラガラな事も多い。しかしこれは「のろわれてる声」というより「のどあれてる声」というべきか・・・。(う〜ん、だんだん神秘性はなくなってきたな)

もっともっと特徴的なことは、その人の発言だ。
その人達は、ふっと声をひそめて眉間を寄せて「私は、呪われているらしいのです」と決まって言うのだ。こう言われれば、呪われているに決まっているじゃないか。という訳で、呪われちゃってる人というのは、実に分かり易いのだ。

「呪われている」と思う事は、その呪いはすでに成功しているのだ。
いくら激しく呪われていたとしても全く感じない人もいる。
頭が痛ければ寝不足だと思うし、お腹が痛ければ食べ過ぎだと思う。こんな人にいくら藁人形、五寸釘セットを使用したところで、「最近ちょっと疲れてるから、もぅ、寝ちゃおう」くらいのことにしかならない。呪いガイの無い奴もいるのだ。
その、「自称呪われている人」達は全ての事柄を実に上手く呪いに繋げてゆく。
約束の時間に遅れたことも「出かけようとしたら、時計が無いのです。散々探して見つからないのでもう諦めようと思ったら、なんと私の腕に巻いてあるじゃありませんか、これはきっと、呪いによって私の目をくらましたのだと思います。」などという事を、のどあれた声で言ったりするのだ。

体調が悪かろうものなら鬼の首を取ったように「呪われている」と言い張るので、医者も薬屋も要らないのだ。ある種、経済的な症状であると言えないでもないな。そんな人たちの悩みは、どうすれば呪いから逃れられるか、につきる。

そういう時は、私も占い師の端くれとして様々な妖術を使い呪い払いをするのだが、2週間もするとその人達は又、「呪われた」と言ってやってくる事が多い。どうやら私の妖術の賞味期限は14日程度らしい事が分かった。

「おまじない」は「御呪い」と書く。
チチンプイプイと呪いの藁人形は親戚同士らしい。

そうだ、もし誰かを呪いたいのなら効果的な呪い方を教えよう。
それは「いたわる」のだ。徹底的にいたわってしまうのだ。
顔が青いとか、背骨がゆがんでるとか、行動が変だとか、色々な理由をつけては、いたわってしまうのだ。

本気でいたわればいたわるほど、相手はその通りの症状になる。よく、女性に「きれいだよ」といえば言うほど綺麗になると言うのは、このことだ。あれも一種の呪いなのだ。

世界一短い呪いは「名前」だと言う。優子は優しくなる呪い、剛は強くなる呪いだ。子供の頃から毎日何回も呼ばれているうちに、優子には「優子の呪い」がかけられてゆくのだろう。

という事は自分を低く評価する人とずっと一緒にいるという事は、その人によって能力を封じ込められていると思っていいだろう。
呪いの多くは耳や目から入る。言葉という衣を着て耳や目から入り、体の中で効果を発揮する。

だから、「お前はダメだ、何も出来ない、汚い、馬鹿だ、嫌いだ、」ほら、こんな言葉を読んだだけでも、何となく気分が悪くなるんじゃない?悪い呪いを受けないためには、自分の世界からこういう言葉を排除する事だ。意識して、使わないようにする事だ。

そういう言葉の多い人とは、あまり付き合わない方がいい。
昔は「誰よりも、愛している」なんて呪いをかけた亭主が、「最近随分太ったんじゃない」という余計な呪いをかけてくるのは、うちだけだろーか?
チッ、覚えておいで。(呪)


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周りの人々

先日、あらためて我とわが身の人間関係の魑魅魍魎(ちみもうりょう)のごとき奇奇怪怪さを思い知ってしまった。
はっきり言おう、私の周りには「妖怪、もののけの類ではなかろうか」と思われる人々がたくさんいるのだ。(注、類は友を呼ぶ、と言うがあれは嘘だ。)

先日、とある会館で演芸会が開かれた。
主催者である友人からは出演を依頼されたが、私は落語も南京玉簾もできないので出演については丁重にお断りしたのだが(だいたい占い師が演芸会に呼ばれる事自体、よく分からない)とりあえず見に行く事にした。

会場に入ると、いるいる、何とも演芸会な人々が集まって自分の演芸の準備に余念が無い。しかし、よく見るとほとんどが顔見知りではないか。
絵描きのヒロ・ヤマダ(ヤマガタではない)や、福祉士のマッちゃん、真面目サラリーマンのスズキさん、美人ピアニストのアキちゃん、森山画伯、大学教授の小野沢さんまでいる・・・やだ、この人達、何やるんだろう?

その他、一癖も二癖もありそうな中年男女が勢揃いしてる。イヤーな予感を抱えつつウェルカムドリンクを飲んでいると、後ろからポンと肩をたたかれた。
「アランさんじゃん、驚いた、どうしてここにいるの!」振り返ると、以前一緒に仕事をしていた(結構こき使った)音楽関係の連中が勢揃いしている。
驚きたいのはこちらだ。

彼等はバンド演奏や音響担当として来ているらしい。私は演芸をしに来た訳ではないことを強調した。なぜならこの連中は、私よりだいぶ年下の分際で人をからかうようなところがあり、万一私の演芸(例えば、物まねとか)でも見られた日には、一生ネタにされるに決まってる。出演者でなくて本当によかった。

さて、時間通りに司会者が出てきて演芸会の開会を告げている。私は太巻きなど頬張りながらその連中と話をしていたのだが、「アランさん、アランさん」と聞こえたので前を見ると司会者が呼んでいる、なんだろうと思って仕方なく出て行くと「宣誓をお願いします」と言うのだ。

演芸会で宣誓だと?それを私にやれだと?
うーん、ま、言われてモジモジする年でもないのでやれと言われればやりますが、演芸会で宣誓をする占い師なんてたぶん世界中で私だけだ。
えーいままよ、やってまえ「せんせー私達、演芸人は・・・・・誓います!」

宣誓を終えて席に帰ると奴らが大いに笑ってた。・・一生ネタだな・・チッ。
激動で始まった演芸会の1番手は大学教授の小野沢さんによるオカリナ演奏。流石に教授、心洗われる音色だ。
しかしペルーの衣装で寅さんバックの不思議ないでたちがかもし出す印象はまるであのスナフキン(知ってる?)みたいだった。
しかし、平和な演芸はここまでだ。

福祉士として清く正しく働いているマッちゃん演じる淫乱団地妻のコントや美人ピアニストとしてファンも多いアキちゃんの場末のママシリーズ等は絶対に18歳未満お断りだし、ヒロ・ヤマダの一人芝居に至っては18歳以上もお断りに違いないだろう。

宴もたけなわになってくると、何処で揃えたか知らないが、今様の女子高校生の制服に身を包んだ団体が踊りながら舞台に上る、うっ、真面目サラリーマンのスズキさんまでいるぅ。意外とにあってるぅ。
この頃には全員が様々に音楽に合わせて踊りのようなものをしている。

大正生まれの森山画伯さえなにやらうごめいているじゃないか、この様子はまるで平安時代の百鬼夜行のようで、思わず親指を隠してしまった。
こうして魑魅魍魎達の演芸会は、老若男女犬猫金魚その他様々な生き物に活気と熱気と少しのショックを与えつつ終了していった。

演芸好きの陽気な妖怪たちは、今日この会場で心おきなく本来の姿をさらした。
そして、ある者は福祉士に、またある者は大学教授に、そして公務員に、占い師にと、それぞれの世界に戻っていったのだった。めでたしめでたし。
何もめでたくは無いはずだが、何となくめでたい気分の夜だったかな。うん


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消えたあの人


私は、お金をいただいて人様の相談にのる仕事をしている。
であるからして、それが教育問題であろうが、嫁姑の問題であろうが、不倫、純愛、ストーカー、シャブのやめ方からシャブシャブの食べ方にに至るまで、なんでも相談には乗る事にしている。いよいよ、分からなければ専門家を紹介したり、自首を勧めたりもする。

そこそこエネルギーと時間も費やすので、その分は報酬としていただいている。ありがたい事に遅れる方もあまりなく、ほとんどの皆さん気持ちよく払ってくださり人間不信にはならなくて済んでいたのだが、どうやらはじめて不払いの人が現れたようだ。(同業者は今まで不払い者が居なかったのは不思議というのだが、私の元に来る相談者の皆さんは本当に誠実だった。)

仮にその人を「尾田真理(仮)」と呼ぶようにしよう。
(別に原マキでもいいし、海野月子でもいいのだが・・・)

彼女と始めて話をした時に感じたのは、美しい声をした女性だけど弾まない感じの人だな、ということだった。30代前半という事だが妙にしっとりとした物言いで、たぶん美人だろうなと想像したのを覚えている。

何やら色々と苦労もあるようで何回か鑑定をしたのだが、何が気に食わないのか支払いをしてくれないのだ。「踏み倒す気か?」嫌な気分に襲われたのだが、仕方無しに何回か請求書を送ってみたら、ある日メールが届いた。

「体の具合が悪くてお支払い遅れてしまいました。来週中には必ずお振込みします。ごめんなさい   尾田真理(仮)」

「わぉ、良かった〜」思わず嬉しくなったのと同時に、瞬間的とはいえ尾田真理(仮)さんを疑った自分の卑しい心を深く深く痛く痛く恥じ入りましたよ、はい。
「人間っていいなぁ、信じあう事が愛だよっ!」とか何とか言いつつ、その夜はワインをたっぷり飲んで、ご機嫌な私だったのだが・・・。

その後、一週間経っても二週間経っても支払いは無い。ヤレヤレ。
もう2ヶ月以上は経っただろうな。未だに音沙汰無しだ、やられたな、たぶん。
料金を踏み倒されたのは諦めるとしても、何とも気分が悪いじゃないか。

なし崩しに終わってしまうのは何だか嫌だし、かといって毎日請求書を送りつづけるのもストーカーになったような嫌な気分だ。
どちらにしても尾田真理(仮)は私に消化不良的な不快感を残して煙のように消えてしまったのだ。

わずか3千円のことでこんなに不愉快な思いをさせられて災難としか言いようが無い。こんな事なら最初からあげてしまったほうがどれだけ楽かと思うのだが、もう遅い。そこで、どう終わらすべきかと悩んでしまうのだ。

この悩みを分析すると、「3千円のお金を踏み倒す女のことで数ヶ月間もの間、心乱れる占い師」という情けない話になるのだ。我ながらスケールの小さな悩みだよなぁ。「15億円もの国のお金をパクって、馬を買ったり、女に貢いだりしちゃった。」なんていう事件に腹を立てつつ、尾田真理の3千円事件でも怒っているんだなぁ。なんだかトホホだぜ。

幸い、今の私はその3千円がなくても何とか食べては行けるのだが、金額が10万円、いや百万円だとしたらどうなるんだろう。たぶん怒り狂って、尾田真理(仮)を探し出し「ヤイこら、尾田真理(仮)!無銭飲食じゃなくて、無銭相談はいかーん!すぐにお金を払うのだぁああ」とかなんとか言うだろうな、わたしは。

すると尾田真理(仮)、少しもひるまず「ふん、この貧乏占い師、騒ぐんじゃないわよ。オダマリッ!返しゃあいいんでしょ、かえしゃあ。えーと、恋愛相談だっけ?積極的に行けばいいって答だったわね、じゃあ、消極的にいくわよ。仕事は西で探すといいんだったわねぇ、じゃあ、北と南と東で探すわ!文句あんの?これで全部返したわよ、返品よ、へ・ん・ぴ・ん。」これくらいの事、言うんだろうなぁ。やだなぁ。(私は気が弱い占い師だ)ま、被害金額は百万円ではなくて3千円なので探し出す事も、開き直られる事もなくて済むけどね、怒る代わりに何だかちょっと切なくなる。

尾田真理(仮)は幸せから遠ざかる行動パターンを取り続けてきたのかも知れないな。今回の事はタイミングを逸しただけかもしれないけど、生き方が出ていそうな気がしてしまい、少し可愛そうな気がしてくる(3千円だから、だろうけど)。

「袖すりあうも他生の縁」というが尾田真理(仮)という人の人生に、ちょっとだけとはいえ、私がかかわりを持ったことは事実だ。
本当は幸せを祈りたいと思う(3千円だからだな)のだが、何となく彼女の行動は「不幸せばかり選んでしまう人」の行動パターンに思えて仕方ない。

人に裏切られ続けた人と、人を裏切るタイプの人は、どうしても疑い深くなるので潔く人を信じる事ができない。家族でも恋人でも必要以上に疑うようになり、悪い結果ばかりを想像して知らぬ間に不幸を引き寄せてしまう。そんな事を繰り返しがちだ。そして悪習慣が身に付いてしまうのかもしれない。

私達は「自分が他人に対して誠実であるか」をチェックする姿勢が必要なのだろう、少し厳しいくらいの目で自分の行動を点検したいものだ。
やはり、幸せになるためには、正しく考えて、正しく感じて、正しく行動する。
これが心的態度の大原則だと思う。私は幸せになりたいから人を裏切らないし、傷つけたくないと思っている。

2001年春、こうして尾田真理(仮)は、消えてしまった。


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心の闇鍋


すっかり寒くなってきた。少し前まではゆるみまくっていた体がキュッと縮んできたような気がする。暖かい土地と寒い土地では随分と人の性格も違うらしいのだが、納得する。

私という1人の人間ですら夏と冬では全く違う人格になったりするのだ。夏には、暑さに弱く、あまり働きたくない私がいる。飲み物も圧倒的にジュースやビールだ。「暑いのは嫌いだ」と周りの人に八つ当たりして嫌われたりする。
しかし、冬になると一転して寒さに弱くなり、できるだけ働きたくない私になる。飲み物は珈琲と燗酒に変わり「寒いのは好きじゃない」と言っては、人にうとまれる女になる。人間とは、かくも弱い存在だと思い知らされる。

私のように我儘放題のあげく人に嫌われるのは仕方ないとして、努力したり工夫したりしているにもかかわらず、周囲の人との関係がギクシャクしてしまう事がある。小さなすれ違いから職場を去らなければならなくなったり、家庭を壊したりする事もある。そういうことを避けるために人は人間関係に気をつかい、努力する。

「ウマが合わない」という言葉がある。これは特別な理由もないのに何だかイケ好かない、そばにいるとイライラするような相手につかう言葉だ。お互いがそう思っているのなら近づかなければ良いのだから問題はないのだが、片方がそう思っているのにも関わらず、もう片方が気が付かないと関係がこじれ易い。

嫌いな男に言い寄られた事があればわかると思うが、わずらわしいし腹立たしい。何とか傍を離れようとするが、ついてきたりするとウンザリするだろう。色恋沙汰ならはっきりと振ってしまえばいいのだが(一般的な相手なら)それが、ご近所だとか同僚、はたまた子供の親同士等になるとそうもいかない。ストレスを抱えたまま付かず離れずでいるしかなくなる。

人間関係が始まる時点では必ず条件による「立場の強弱」がある。年齢が上であるとか、会社の先輩だとか、前からこの地域に住んでいたとか成績が良いとか、様々な要素で少し強い立場になることもある。

そう、誰でも立場が強い時と弱い時、両方の要素をもっている。自分では弱いばかりだと思っていても、仕事場の新人や近所に最近引っ越してきた人などにとっては、強い存在になっているのだ。

では、ある程度時間が経った人間関係に起こる「立場の強弱」は何なのだろう。
全く個人的な意見だが「その関係に対する興味の度合い」だと思う。自分と相手との関係に強く興味を持っている方が弱い立場になって行くのだ。(恋と同じだ!)

「友達が少ない」と自分で思っている人は、ひとつの関係に執着する気持ちが強くなりやすい。相手を怒らせたくない、嫌がられたくない、仲良くしたい等と思ううちに相手の顔色が気になってしまい、いよいよ相手の言いなりになる。相手は自分ほどこの関係に興味がないので、他の友達とも付き合うし、自分の都合を優先している。大体、言いなりになってしまう友人なんて、誰にとっても、たいして魅力的ではないものだ。

自分が相手の都合にあわせて、言いなりになればなるほど自分に対する相手の興味は薄れて行き、その関係がわずらわしくなる。悪循環の始まりだ。
じゃあどうする?問題はそこだ。執着を持たなきゃいいと言ってしまえばそれまでだが、どうせなら強くなりたい。

新しい人間関係を作る時にも役に立つのだが、習慣にしてしまえばその後にも有効なテクニックとして「最初に大きな声で話しかける」という手がある。会った時の挨拶を、先に大きな声でしてしまう、後は普通でいい。

努力も忍耐もほとんど要らない割には効果的だし、第一印象は人間関係の7割を占めると言うくらいだ。強そうに見せればいいだけなのだ。
そして、その場を先に切り上げる。(これが肝心!)
近所の人との立ち話なら「そろそろ電話がかかるから、これで・・」等といってさっさと立ち去るんだ、後に残ってはいけない。
同僚との飲み会でも最後までうろうろしない。

そして、もうひとつは一人でする趣味を持つことだ。絵を描く人や俳句を作る人はそれほど人付き合いが良くなくてもさほど責められないものだ。
どんなに独自の価値観で暮らしていても「あの人は個性的だ」と云う評価をされるだけだろう。迷惑さえかけなければ何でもOKになる。

実際にはたいした事をしていなくてもいい、はったりでもいい、「数年前から俳句に興味を持っています。人様に発表するような作品は、まだまだできませんがこつこつ作っています。好きなのは、山頭火です。
分け入っても分け入っても青い山・・・なんてね」くらいの事を言っておけばいい。後は勝手に相手が想像してくれるはずだ。

どんな相手だとしても自分を壊してまで守らなければならない人間関係など無い。自分以外の人間を自分の心の中心に置いてはだめだ。

私は自分が生きる上で、どうしても必要な人は、たぶんほんの数人に過ぎないと思う。だけど、できることならその人たちとの人間関係にも執着しない自分でいたいと思っている、難しいけどね。

未来の人間関係は予想がつかない、好きになる人、嫌う人、傷つける人、傷つけられる人、追う人、去る人、もしかしたら殺す人、殺される人、いったい誰が私の前に現れるのだろう。

それはまるで見知らぬ人達が大勢で囲む闇鍋のようだと思う。

          怖いけど、とにかくいただきましょう。

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人に言えぬ病


15の春まで病気三昧だった。心臓停止の憂き目にも遭った。
そんな私が何故、こんなに健康になってしまったのか、今でも不思議だ。

しかし、時には人並に風邪をひいたり、熱を出したりする事はある。所詮いつか、たぶん死んじゃったりもするかも知れない程度の健康でしかないのだ。

以前、柄にもなく胃痛を覚え病院にいったことがある。精密検査が必要だと脅かされて、ドロリとした液体を飲まされ、縦、横、斜めと動き回る台に乗せられてしまった。

それは、「これが病人に対してやることなのか?」と疑わずにはいられないような仕打ちだった。やめてくれ、気持ち悪くなるじゃないか!
わめいているうちに何とか検査も終わり、息絶え絶えに帰ろうとすると、サディストと思われる医者がニコニコ笑いながら、結果が出るから数日後に又来いといった。嫌ではあるが、行かないと何のために気持ち悪い思いをしたのか分からなくなるので渋々承諾したのだった。

さて、結果の出る当日。
サド医者はやはりニコニコ笑っていた。
渡された検査結果には、よく分からない記号や数値がたくさん載っていたのだが、医者の説明によると「あまり心配はない」との事だった。

良かった良かった、と思いつつ検査結果をよく見ると、なにやら書いてある、えーなになに・・・「ゆうもんぶひだのただれ?・・」。
「ゆうもんぶひだのただれ」って何だろう。私の頭の中に突如として昔懐かし日活ロマンポルノの映像が現れた。

それは原色の着物を着た若妻が(あれ、恥ずかしや)裾など乱して浮気相手の色男に何やらされてる、とってもいけない場面なのだ。
我ながら何て猥褻な病気になったのだろう。これはいかん、と思いつつも妄想は膨らむ。

団地の一室、夫が出張中に夫の後輩のアキオが訪れる・・。
アキオ「お、奥さん、僕はずーと前から奥さんのことが好きでした。道ならぬ恋とは分かっていても我慢できなーい!」
ポルノ映画はたいていの場合、唐突に始まるのだ。
若妻「いけないわアキオさん、私にはあんなに真面目な夫がいるのよ、ウフン、そんなことしちゃ、だめだってば・・あ〜れ〜そんな事すると、わたし・・・「ゆうもんぶひだのただれ」になってしまうわ」

アキオ「そんな事言いながら、奥さんも本当は「ゆうもんぶひだのただれ」をのぞんでいたんじゃない?いけないひとだ・・・」
夫に申し訳なく思いつつも「ゆうもんぶひだのただれ」には勝てない若妻なのであった。・・・終わり

思う存分妄想が膨らんだ所で、サド医者が説明をはじめた。

「幽門部襞の爛れは、それほど重症ではないのでお薬でいいでしょう、食べ過ぎ、飲みすぎをしてはいけませんよ」
さほど猥褻な病気ではなかったようだ。アキオさんも出てこないし若妻も関係ないようだ。

ホッとしたようなちょっとつまらないような気分で病院を後にしたのだが、周囲の人に「どうだった?」ときかれるたびに少々恥ずかしい気分で「幽門部のヒダがただれていたようで・・・」と答えたのだが、皆さんはどう感じたんだろう。

ごく親しい友人に日活ロマンポルノの妄想をちょっと話した所、彼女いわく「自分の病気でそれだけ楽しめれば、絶対に悪化する事はない!」と保証されてしまった。

しかし、何とも猥褻な響きの病名だ。
面白いので、いい男でも現れたら「あたし、ゆうもんぶひだのただれなの」とかなんとか言って誘惑してみようと楽しみにしていたのだけれど、残念ながらこの病気、サド医者がくれた薬が効いてすぐに完治してしまったのだった。

もう、私ただれてないのよ・・・うふん。


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水の輪廻


地球が地球として存在し始めてから46億年といわれているが、誰が言っているのだろう。人の想像力は意外とチープなもので、どうせ地質学だとか天文学だとかの専門家が言っているのだろうけど、あやしい・・・。

一億年前に何があったのかもはっきりしないのに(私は1週間前の事さえはっきりしないことが多い)46億年とは随分大きくでたもんだ。
別に私は自分の物忘れを地質学者のせいにしようとしてこんな事を書いている訳ではない。だけど今日は地球が気にかかるのだ。

地球には大気圏というものがある。宇宙からの映像を見ると、大気圏からこっちが地球の領地、という感じがする。たぶんそうなんだろう。
実際に地球は岩石圏、水圏、大気圏と三圏から成り立っているといわれている。(誰が言った?)その大気圏、結構丈夫なものらしい。

スペースシャトルでさえ大気圏を出るのにはものすごいエネルギーが必要になる。よく見るNASAの映像の中に、まるで電信柱にセミがとまっているような不恰好なロケット発射シーンがあるが、あの電信柱の部分が燃料というのだから、原始的な話だ。

それはいいとして、地球上のものをみだりに宇宙に出さないために大気圏がしっかりと蓋をしていることは確かなようだ。
ということは、46億年(だとして)の間、大気圏内の殆どの要素は変わっていないということになる。大きな要素としての「水分」は46億年の間一滴も増えず一滴も減っていないということになるのだ。

赤ちゃんの体の80%は水分だという。そして人は水分が50%を切るとその命を終えるらしい。水を消費してゆくことが人の一生なのかも知れない。
では消費された水は何処に行ったのだろう。人が呼吸をしたり排出したりすることで多くの水分を体外へと出し、それらの水分は川を流れ、海に出たり、気体に姿を変えて空に上ったりと、様々な所へと運ばれる。

しかしその水分が地球から外へ出ることはない。そう、循環するのだ。
海になった水分はいつか蒸発して雲になり、やがて雨になる。大地に吸われて樹木を育てる。
樹液は昆虫の水分となり、昆虫は鳥の栄養源になる。

その鳥がある日寿命を終えたとき、その中にわずかに残った水分も蒸発し空に戻るのだ。空に上った水分の中には、山深い沢に流れて百名水に名を連ね、しばらくしたら銘酒、越の寒梅とか何とかいうのになるのもあるわけだ。

ということは、毎日飲んでるビールの水分にも、テーブルの上のポン酢にも過去があるわけだろう。何しろ46億年循環し続けている水分が入っているのだから、ぜったーい新参者ではないのだから、なにかあるのだ。

しかし、そのビールの過去が知りたいと言うほど私は大物ではない。
もし、忌まわしい過去がそのビールにあったりしたらどうすればいいのかわからない・・。血みどろぐちゃぐちゃ、怨念、因縁付の水分だったら、私は迷わず人に勧めてしまうと思う。

いくつかの宗教の教えの中にある「輪廻転生」の考え方もまた、このあたりから発生しているのかも知れない。
地球という限りある要素を抱え込んだ袋の中で水分やその他の要素が組み変わり、もつれ合って今の世界を作っているのだろう。

私たちの体にある水分も過去様々なものに姿を変えてきたのだろう。

今という時点では「人間の中身の水分」になってはいるが、ちょっと前までは海だったのかも知れないし、雲だったのかも知れない。

昔、坂本竜馬だった水分がテーブルの上のポン酢の中の水分じゃないと誰が言えるのだろう。冷奴の水分だって、西郷隆盛だったかもしれないじゃないか(それって明治維新が食卓に乗っていることになるな・・・)。

そんな事を考えると、みんな密接な繋がりを持っているのだと深く感じる。
自分が生きたことや感じたことが水の中に柔らかく溶け出して大気圏の中を未来永劫に循環し続けるのだろう。

私の周りを浮遊する全ての要素が(実は私自身も)悠久の時間の中で何かを造り、破壊してきたのだなぁと思う。

スルメになったイカは水に入れても元のイカには戻らない。水っぽいスルメになるだけなのは、何故なんだろう。ああ水の謎は尽きない。


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男を好きな男達


男は100人いれば97人が大の女好きらしい。後の3人が普通の女好きだ。
だから恋人や女房がいたとしても多くの男達が他の誰かに、ついフラフラするというのだ。それが本能だとノタマウ。

ちょっとまったー!(懐かしいフレーズだ)。

言わせて貰うが女だって100人いれば97人は男が好きだ。後の3人はミミズの方が好きだと言うかも知れないけど、とにかく似たようなものだ。
女の場合、男が好きだから「彼」と一緒にいたがる。(理に叶ってる)
ある日、友人に「今日いっしょにご飯食べない」と誘われても「ごめん今日彼と会うんだ、今度ね」と断る。

さらに、彼に会いに行く途中で学生時代の同級生に偶然会っても「わあ懐かしい、話をしたいけど今日彼と会う約束があるから、帰ったら電話するね」と言って別れる。

その後、新興宗教の勧誘やモデルのスカウト、ナンパや置き引き、場外乱闘やUFO出現など色々なことに見舞われながらも、男が好きで彼が好きな女は約束の場所へ向かう。

さて相手の男は、と言うと友達から「安い店見っけたから、飲みに行こうぜ」等と言われると弱い。何故か男は「彼女と会うから」とは言わない。
「金ないし、ちょっと寄る所があるから・・・」とか何とか言って、そこはどうにか切り抜けるかもしれないのだが・・。

途中で久しぶりの友達に会ったり、ナンパされたり、場外乱闘やUFO出現なんて事があったりしたら、たぶん彼は携帯で「今日は残業なんだ」と彼女に伝える事になるだろう。

恋も始めの頃はいざ知らず、ある程度時間が経つと男達の様子が少々変わってくる事に女は気付いている。
なにがあっても毎日連絡をとり、できる限りの無理をして二人の時間を作っていた彼が、何故かやたらと男友達との約束を優先するようになる。

それまでの密着度が強いほど、その傾向が多いようだ。
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人までが大の女好きのくせに、どうしたんだ?
よその女と内緒で会われては困るが「彼女」である私をほっといて、何故、男と居たがるんだろう。男友達に聞いてみたところ、面白い答えが帰ってきた。
「ミエだよミエ、格好つけてるんだよ」格好つけて男と居て、いったいどうするんだろう????

どうやら男達の間では「恋愛」はあまり格好の良いものではないらしい。
男が女を好きになって心痛める様子は悲しさこそあれ、男にとっては出来るだけ隠しておきたい代物のようだ。

男の中ではいまだに硬派がカッコいいのだ。
みんな悲しいくらい女好きの心と体を抱えて、煩悩に苦しめられている事を男同士は理解し合っている。
わかった上でミエを張るのだ。恋愛の初期は頭がポカポカしていて、それどころでは無いが、少し経って二人の間が安定してくると突然我に帰るらしい。

「あっ!しまったー、オレは恋にうつつを抜かすカッコ悪いロマンチック男になってしまっていたかも知れない」とか何とか思うのだろう。
そして男友達との付き合いをせっせと復活させるのだ。

ちょっと前まで「女が出来て付き合いが悪くなった奴」と言われていた彼が「安い店見っけたから飲みに行こうぜ」と誘う側になる。
今、付き合っている彼が男友達と遊んでいる方が自分と居るより楽しそうで、何だか少し傷ついてる人がいたとしたら、心配する事は無い。

彼は男達の中で、男としての自分を鍛えているのだから、強くいようとしているのだろう。
かえって、彼女にべったりで友人との付き合いの気配が感じられない男は要注意かも知れない。ストーカー予備軍の心配がある。

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逃げる男


先日、十数年来の男友達と久しぶりに会った時に聞いた話だが、何やら腹立たしい気持ちになってしまった。

彼は音楽関係の仕事をしているのだが、この業界も御多聞に漏れず不況らしい。たいがいの人は音楽が好きで好きで仕方がないからこの仕事に携わっているのだが、中には音楽業界のパラサイト的なチャランポランなやつもいる訳で、今回の話の主人公もそんな奴なのだ。
そいつを仮にタクミと呼ぶことにしよう。

私はタクミが高校生バンドのギターリストだった頃から知っているのだが、その下手さ加減は相当のもので、他のアマチュアバンドの連中も一目置くぐらい(?)下手だった。

それに反してルックスはシャープにして綺麗系、細身で長身すこぶるオシャレとくるから同年代の女の子からは結構人気があったりもしたのだった。

しかし彼にはギターが下手よりも、何よりも大きな問題があった。
いわゆる虚言癖、つまり彼の話しは悲しいぐらい嘘や誇張が多いのだ。その頃の彼の話によると学校では喧嘩と勉強が一番で家は大金持ち、自分は他の兄弟とは腹違いで16歳なのに400CCのバイクに乗って一人暮らしをしている、と言うのだ。(地元の子なので彼の幼馴染もたくさんいて、本来の彼の家庭のことを知っている人が山ほどいるというのに・・・)

私たち大人は苦笑すれば済むのだが、同年代は厳しい反応をすることになる。自然と仲間内から浮き始め、タクミは居心地の良い大人のそばにいることが多くなっていった。その大人の中に私の友人T氏がいたのだ。

T
氏はなかなか豪快な人で、某有名大学を出て大手自動車メーカに就職したが、どうしても音楽業界で仕事をしたいと自分一人でPA屋(音響屋さん)を始めてしまったのだ。
その頃は始めたばかりで小さなアマチュアバンドライブの音響の仕事もしていた。私も仕事での関わりがあり、タクミがそのT氏を慕い影響を受けて傾倒してゆくのを感じていた。いいことだと思っていたのだ。

タクミが大学受験の時期を迎えて、あまり姿を見せなくなり忘れかけていた頃、彼が「受験をやめた」という噂がかつてのバンド仲間から流れた。私たちも少し気にかけていたのだが、それならそれで良いのではなかろうかと思っていたらタクミが現れた。

来るなり彼はT氏に言った「Tさん、おれXXX大学に合格したよ、それもTさんと同じOO学部なんだ、これからは後輩だ」
これにはT氏も言葉が出せない、他のメンバーからはタクミは何処も受験はしていないと聞いていたし、XXX大学のOO学部は超難関なのだ。どう贔屓目に見てもタクミには難しすぎる。例の癖が出たのだろう。

T氏は大学の話にはほとんど触れず「受験終わったならオレのところでバイトをするか?」低い声でタクミを誘ったのだ。
あれから6年くらい経ったが、そんな訳でタクミはT氏の手伝いをしていた。いかにも音楽業界のような格好で、業界用語をちりばめた軽い会話も身についてきた頃、どうやら恋をしたらしい。

T氏は全く知らなかったのだが、恋の相手はT氏が仕事を始めた頃世話になった音楽業界の先輩の奥さんなのだ。私も知っているが若くてかわいらしい人だった。敬虔なクリスチャンだったように記憶している。

たぶん浮気なんかしたこともない人だと思う。本気で恋にのめりこんでいったんだと思う。彼女はタクミの子供を身篭った。妊娠したのだ。
T氏の先輩と奥さんは離婚し、彼女は子供を産む決心をした。彼女の信仰は中絶を認めない。それよりも彼女はタクミを愛していたのだろう。

T氏がその事実を周囲の人から聞いた頃にはタクミとの連絡がつかなくなっていた。タクミが担当するはずの仕事が迫り、さんざん探したのだが、連絡が取れないままでT氏が駈けずり回ることになった。

T氏は言う「男と女の事は仕方ないじゃない、好きになってグチャグチャになることもあるさ、みんな恥かいたり恨まれたり、そんな事もあるよ、でもさぁ、奴がそのことで仕事からも仲間からも逃げ回っていると思うと情けなくて、腹が立つよ」、ウン、もっともだ。

タクミはもうすぐ親になるのだ、責任から逃げたとしてもタクミの子供がこの世に産まれてくることからは逃げられない。
彼女が愛したタクミは、半分は嘘で出来ているのかも知れない。
T氏はもう彼を受け入れる気は無いと言う。色恋沙汰でしくじる人間は大好きだが、その罰から逃げる奴は嫌いだと言う。

せめて、身重で実家に戻った彼女とタクミの連絡だけは取れているといいのだけれど・・・。激変してしまった彼女の人生が少しでも好転することを祈らずにはいられない。

T氏の先輩、その奥さんだった人、生まれてくる子供、その周囲の人たち。
希薄な男だと思っていたタクミが、これほど多くの人たちの人生を変えてしまうのだ。

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年下男と恋するにあたって



最近受ける相談の中で赤丸急上昇の伸びを見せているのが「年下男との恋」だ。
それも2歳や3歳ではなく7歳以上20歳未満といったところだろうか。
皆さん頑張ってるねぇ、と言いたいところなのだが、そうでもないようだ。

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歳も年下の若者にモテテ、さぞ女冥利につきているはずなのだが、大方の人は苦しい思いと、とり止めのない焦りに悩んでしまうらしい。
超年下男との恋の始まりは似たパターンが多い。

何かのきっかけで知り合う。最初女は相手の年代を鋭く察して「この子と私はたぶん10歳は違うわよね、カッコいいけど中身はガキだろうなぁ」等と冷静に分析する。(恋に落ちるかどうかは別として、私もココまでの経験は豊富にある)

超年下男の方はといえば「色っぽいなぁ、5歳位は上かもしれないけど、オレ年上好きだし、甘えられるし、・・・でも子供だと思ってるんだろうなぁ」等と感じるのかも知れない。(私は超年下男としての恋の経験は無い)
知り合った当初は、年上女性に超年下男が憧れの感情を持っている場合が多い。女が男を可愛がっている状態だろう。このままならいいのだが、そうはいかない。

ある日一緒に飲みにでも行った時、女はいつものように「何食べる?これが美味しいんじゃないかしら」なーんて言っていると、年下男の目が真剣になる。そして「僕ではだめですか?」みたいな遠まわしな愛の告白をするのだ。
又は、ある日一緒に飲みすぎて気が付いたらホテルのベットの上にいて、事が済んでから「ずっと好きだったんだ」なーんて言われる。(これの方がおおいかな・・)

どちらにしてもだ、この時点では年下男の気持ちの方が先行していることは確かだ。だが、これはあれよあれよと言ってるうちに逆転することになる。

彼のことを「カッコいいがガキだ」と、女性が自分に言い聞かせていたのには訳がある。自分には年相応の魅力があるという自負はある、時によっては5歳位は若く見えるかもしれないとも思う。

だが10歳も年下の彼が、自分を「恋愛対象の女」として見てくれるという自信が無い。何せ相手は私が成人式の時にはランドセル背負って小学校に通っていたんだから、子供会で廃品回収なんかもしてたに違いないんだから、恋にはならない!故に相手はガキである・・・。証明終わり、となる。

その証明が崩れたのだ。相手は私を恋愛対象のなまめかしい存在として見ていたんだ。彼は私を求めた!故に相手は大人の男である・・以上証明終わり、となってしまったのだ。

正真正銘の大人の男と恋をした場合、女の人は比較的楽が出来る。相手も過去から学んでいるので女の感情に対して気を使う。それなりのプロセスがあり正面から切りあったりしない。退屈も感じるが安心もある。

超年下となると退屈はしないが安心は絶対出来ない。若いとはいえ、艶めかしい事もする奴だと分かっているし、ライバルの年代は自分より15歳も若い女の子に始まり、年上好みの彼なら私より5歳上位までOKかもしれない等と思う。
街を行き交うほとんどの女の人が彼の恋愛対象に思えてくる。

少し慣れてくるとふざけて「おばさん」なんて呼ぶこともあり、一緒にテレビを見ていても若いアイドルを見る彼の眼が気になってくる。自分の付き合いを最優先するようになり、携帯がつながりにくくなってくる。

それでも彼はヤキモチを焼くし、激しく求めても来るから自分への気持ちはまだあるように感じる。干渉すると嫌われそうで、つい物分りがよさそうに振舞ってしまうのだが本当は聞きたい事が山ほどある。・・何処で誰と何してたのよ!・・・
若くてカッコいい彼が自分を女性として求めて、愛して、欲してくれた、という女としてのプライドが貴女を綺麗にしていることは事実だろう。それは素敵なことだと思う。
でもね、疲
れてきたら止めてもいいと思う。最後のプライドが傷つく前に超年下男をもてあそんだ悪い年上女になってもいいと思う。

我儘に恋をしていた貴女が、今回は物分りの良い女を演じて、ちょっと尽くしたりして、十分魅力を増したと思うよ。

よく見てみると若くてカッコいいくらいしかとりえの無い奴かもよ。私の時もそうだった、なーんてね。

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念願の二号をもった男の話


夫婦というのは10組いれば10通りのパターンがある。
亭主関白、姉さん女房、友達夫婦、仮面夫婦など、色々だろう。

今回私が出会った夫婦が面白い。賢い妻と野生の夫、とでも言おうか一夫多妻に憧れた中年亭主の「事の顛末」だ。

5歳ばかり年上の亭主は、仕事もバリバリ、遊びもバリバリの亭主関白だ。美人妻の呼び名の高い恋女房と娘2人にかこまれてまあまあの幸せぶりだった。

しかし彼には長年の夢があり、それはまだ叶っていない状態だった。
「二号が欲しい!」

奥さんが聞いたところによると、何故か彼は中学生の頃から将来は絶対に二号を持とうと心に決めていたらしい。

ここで青少年の読者の皆様(たぶんいないと思うが)に「二号」について説明しておこう。
現在では殆ど死語となっている言葉だが、中年お父さん達にとってはちょっと甘美な言葉だ。今で言うところの「愛人」少し前は「お妾さん」等と同意語なのだが、ニュアンスは少々違うように思う。
大体の場合、正妻がいた上で初めて愛人だのお妾さんだの二号だのの存在が発生する。

正妻VS愛人の場合、その呼び名からいって夫の愛はすっかり「愛人」さんに取られている感じがする。
正妻VSお妾さんの場合も、夫の気持ちはお妾さんに相当行っている感じだ。(「目をカケル」が変化したとの説もある)
そのてん正妻VS二号は良い。
何故良いのかと言うとその存在の控えめさだ。正妻が一号である事を認めた上の「二号」という存在なのだ。

そういう訳で、彼が欲しかったのが愛人でもお妾さんでもなく、二号だったという事が今回のポイントでもあるのだ。
さて、野生の夫だが「念ずれば通ず」とはよく言ったもので自分より20歳ほど若い彼女を作る事に成功した。当然彼は有頂天だった。しかし彼の失敗はここに始まるのだ。

先ほどから言うように「二号」という存在は控えめである事を要求される立場なのだ。酸いも甘いも十分知った大人の女の人ならいざ知らず、まだ20代前半の恋愛至上主義の彼女にやってられるはずがない。

内緒にするはずだった奥さんの耳にも、その娘の存在がバレるのに時間はかからなかった。

ところが流石の美人妻、「私を圧倒的に大切にするのなら1年間に限り許そうじゃないか」と提案したのだ。
野生の夫泣いて喜び、奥さん相手に昼も夜も、それまで以上の大サービス!仕事もバリバリ、遊びもバリバリの真骨頂だ。時々いそいそと二号の元に通う以外は100点満点亭主だったという。

だが人生は甘くない。彼が「二号」と思っていた彼女は、自分自身を「愛人である」と認識していた。
ある日彼女の親友から奥さんのもとに電話がかかる。

相手「ご主人に愛人がいますよ」

奥さん「二号さんの件なら存じてますが」

相手「じゃあ何故別れないんですか?二人は愛し合ってるって言ってますよ」

奥さん「夫は私を一番愛してるといってますけど、その人は2番目に愛しているんでしょ、たぶん」

その後、奥さんは懇切丁寧に家庭内での夫の様子を話して、「彼女にお伝えください」と言って切った。

数日後、彼女本人からの電話が鳴った。

彼女「先日の話は本当なんですか」
思いのほか真面目そうな女性だ。

奥さん「夫はどういう風に言っていました?」

彼女「奥さんは大変なヒステリーだと、あっごめんなさい、それから、10年も前から指一本触れてないって・・」

奥さん「あなたねぇ、うちの下の子はまだ7歳なのね。彼は私に指一本触れずに子供を作ったことになるわねぇ、あなたには悪いけど今もダブルベットで寝てるのよ」

その後しばらく女同士の会話は平和に進み、やがて「彼は嘘をついていたんですね。すみませんでした」そう言うと彼女は静かに電話を切った。

奥さん、何だか猛烈に夫に対して腹が立ってきた。20歳も下の子を騙すような事を言っていたのだと思うと「ふざけるな!」という気分になってきたのだ。

さて、お気楽に家に戻った夫に妻が囁く。

「彼女から電話があって、一時間もしゃべったわ、割と良い子ね」
夫にとっては背筋の凍るささやきだ。「ヤバイ・・」
日頃から彼は、妻に向かって「二号とは直接話すような事をしてはいけない」と申し渡してあった。若い彼女に対しても同様だ。
どちらに対しても都合の良い事ばかり言っていたので、二人に話し合われてはまずかったのだろう。

せめてどちらかがヒステリーでも起こしてくれて、話し合いが決裂してくれていれば言いくるめ様もあるのだが、妻が『割といい子ね』何て言っているということは二人とも冷静だった証拠だ。「やばいやばいやばい」
狂おしく乱れる心を押し隠し、タバコに火を点けながら妻に訊ねる。

夫「どんな事、言ってた?」
妻「・・・あなた、そっちはフィルターよ」
夫「ゲホゲホ・・」
妻「あなたが彼女に言ってる事をそのまま教えてくれたわ」
夫「ホゲホゲ・・」
妻「だから私も家の中のあなたの様子を話したの」
夫「ホホホゲゲゲ」

数日後、この会話は若い彼女の部屋でも再現され、彼女に愛想を尽かされた彼に残ったモノといえばマイルドセブンのフィルターの苦い後味だけだった。

あれから夫は「50点亭主」になったと、妻が言う。
「二号の元にこそ行かないが、私からもコソコソ逃げるんです。今日もたぶんパチンコよ」ということだ。

昼も夜も大サービスの夫が懐かしい気もするのだが、もう二号は持たせないつもりだと言う、正解だろうな。
夫は粋な男に成りたかったのだろうけど、その器ではなかった。昔の「男気」にちょっと憧れてこうなったのかも知れないが下手だったな。

二人の女を持つという事は、普通の人の2倍の愛情を必要とする訳で、けっして2倍の愛をいただく事ではない。
奥さんに、この先どうするのかと訊いたところ彼女は
「だめな亭主でも夫は夫、そろそろ許してあげるつもり。今日パチンコから帰って来たらビールでも出して、静かに抱き締めてあげようかな」といってのけたのだ。

なんとも天晴れな美人妻に思わず私、脱帽です。
一句・ やさおとこ 酒と女は 二ごうまで

                       おそまつ! 

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貧乏くじの行方


一人の男と二人の女がいる、三角関係というやつだ。皆さんの中にも経験者は結構いるのではなかろうか。

若〜い頃の話だが私にも苦い覚えがある。男はコソコソと二股をかけていたので気が付くのにいくらか手間がかかったのだが、所詮いずれはばれることだ。
平和に付き合っている時には相手の本性がいかなるモノかを気にもしなかったのだが事が発覚して初めて「相手の本性」についての疑いが頭をもたげた。

私の場合はほとんど即刻、その男とは別れた。そっと密かに誰かと比較されている事が気持ち悪かったのだ。今になって思うとそんな男のために人生棒に振らないでよかったなぁ、とあらためて自分の選択を誉めてあげたいくらいだ。
友人で凄まじい三角関係に巻き込まれた人がいた。

2年ほど付き合った人と半年後には結婚の予定があったのだが、ある時大喧嘩をして1ヶ月ばかり意地の張り合いで会わなかったらしい。

それでもお互い嫌いじゃないので何とか仲直りをして、予定どうりに結婚の運びになる・・・はずだったの・・だが!
なんと彼は彼女と喧嘩している1ヶ月の間に他の女性と入籍してしまっていたのだ。何の事はない、1年ほど前から、ちゃっかり二股だったらしい。

彼女は彼より8歳ほど年上で、日頃は吉祥天女のように優しく豊かな女性だ。しかし筋が通らない事や人に迷惑をかける事などにはピシャリと意見を言う強さのある人だった。
そんな彼女ですら混乱してしまうような事の成り行きだ。

彼は両親から彼女が年上である事を理由に結婚を反対されている、と言い続けていた。自分は一生懸命説得しているのだが親は頑固で受け付けないと、彼女には言っていたのだ。

しかしこの事件が起きていろいろなことが分かってきた。
嘘ばっかりなのだ。
彼は彼女と出会った当初に1度だけ両親に彼女のことを話したらしい。両親は彼がまだ若い事を思い「結婚はまだ早い」と言ったのだと言う。(この事件でお互いの両親を含めて話し合った時に聞いたらしい)

驚く事に彼の両親はここ数年間、彼女の存在さえ知らなかったと言うのだ。
つまり、彼は彼女が一番気にかけていた年齢のことを使って彼女の動きをコントロールしていたのだ。
常日頃から「両親に反対されている」と聞いていれば「家に行きたい」とも言えないし、自宅の電話にもかけられない。

頑張って説得していると聞けば、わがままは言えない。
色々な事を我慢して乗り越えて行くつもりだっただけに彼女としては、怒りの持って行き所がない状態だったと思う。

ある時彼女が言った
「若くてカッコよかったけど馬鹿な男だったとつくづく思うんだ、あれでもし私達が喧嘩をしなかったら結婚はどうなったんだろうね、親に嘘ついて、私に嘘ついて、今の彼女にも嘘でしょ、どうするつもりだったんだろう」

「なーんも考えてないのよ、楽な方を選ぶだけだよ。許してくれて居心地の良い所へ行きたがるチープな男だよ」友人なので私も遠慮がない。
私としては友人がそんな男と結婚しなかったことを本当に良かったと思っている。そんな結婚はババを引くようなものだ、貧乏くじとも言う。

さて気になるのがその「くじ」を引かされたもう一方の彼女だ。
大もめにもめたので、当然その彼女もこのことについては知っている。結婚後すぐに発覚した年上の元彼女と夫のただならぬ関係は、本当にショックだったのではないだろうか、なんだか心が痛む。

友人はその後、彼から慰謝料を受け取り私を温泉に連れて行ってくれた。カラオケで騒ぎ、お酒をしこたま飲んでお湯につかれば、明日への勇気も湧いてくるもんだ。

一方、自分が愛して止まないと思って結婚した二股男の本性に疑問を持ちつつ、向き合って生きるのは辛い。
三角関係に見事勝利をして彼との結婚を射止めた彼女は、恋の勝利と引き換えに厄介な貧乏くじまで引いてしまったのかも知れない。

今、三角関係にはまっている人は「相手の本性」を良く見直したほうがいいよ、人生棒に振らぬよう二股男に要注意。


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別れるかも、知れない


離婚は結構ハードな作業だ。
その後の仕事や生活等、殆どの女性は楽観できる状態に無い。

第一、それが楽観できるような状態ならもっと早く離婚していたはずだ。
それにもかかわらず、離婚に向かって敢然と動き出す女性が増えつづけている、良い事だと思う。つまらない我慢をしてミエと経済の結婚を続けるより、本人にとっては何倍も面白い人生になるだろう。

仕事柄、毎日のように離婚の相談を受けるのだが、時々釈然としない気持ちにさせられる事がある、第二の男の存在だ。
夫との関係が破綻しているのだから恋人やボーイフレンドが居る事には何の問題もないと思うのだが、その相手を自分にとってどういう位置付けにするのかが問われる所だ。

「彼の事と離婚のことは、別の問題です。夫とは元々上手くいっていなかったので、いずれは離婚するつもりでした。」離婚を考えている多くの女性がこのようなことを言う。本当にそうなら問題は無い。

でも「いずれ」っていつだろう。彼が現れなかったとしたら、又は彼に奥さんや婚約者が居たとしたら、はたして彼女は離婚というこのハードな作業につき進んだのだろうか。

結婚をしている中で別の恋が始まる、その相手が既婚者であればW不倫ということになるのだが、そういう場合に自分の離婚を考える人は割と少ない。夫との中が冷えていたとしても自分には他に愛する人がいて、その人も自分を愛してくれている。割と満足しているのだ。

生活の安定は家庭にあり、女としての喜びは外にある。
自分が夫と別れても不倫相手が妻と別れない限り結婚も出来ないし、子供の事やらなにやら考えるとゴタゴタするのは面倒臭い気もする。

お互いが「将来」という打算を越えて、好き嫌いだけで付き合える唯一の形かも知れない。(だからといって「純粋」とはいいにくいが)

さて、もうひとつのパターン、恋の相手が独身という事になると状況が変わってくる。恋の出だしは好き嫌いの問題だが、それだけではなくなる。
「将来」という部分だ。彼女は考える「夫との中はすっかり冷めているし、子供も手がかからなくなった(又は、小さいうちに)、このまま夫と居る事に意味があるのだろうか、幸い今の恋人は独身で私を愛しているし、経済力もそこそこだ。彼が受け入れてくれるのなら、人生をもう一度やり直したい」

これが「いずれ」の正体か?夫も彼もなめられたものだ。そして、なめた彼女は悲しすぎる。

彼女は嘘をついてはいない。確かに夫とは冷めきって暮らしているし、先のことを考えると「別れたほうがいいのかも・・」と思うこともあるだろう。愛は無いが安定と慣れがある。夢は無いがマンションと体裁がある。そんな暮らしが淡々と過ぎる中で彼と出会ったのだ。
繰り返し過ぎてゆくボンヤリとした日常の中に、ある日「彼」という灯りがともったのだ。

夢のようにおぼろげだった「別れたほうがいいのかも・・・」が、突如として明確に太字で頭の中を駆け巡るようになる。「私、別れるかも、知れない」
それからの彼女は友人や占い師相手に呪文のように「彼の事と離婚のことは、別の問題です。夫とは元々上手くいっていなかったので、いずれは離婚するつもりでした。」と繰り返し、自分にも言い聞かせる。

「彼が受け入れてくれるなら」と云う言葉は呑み込んで、この離婚の正当性を数々の相談相手に説き始める。
しかし、彼女が離婚を考えるのと同時に恋人との結婚を意識しているのは明確なことで、彼女がどんなに力説したところで彼との事が離婚と別の問題とは思えない。

本来、別の問題である必要も無いのだ。
問題は彼女が呑み込んだ言葉だ。「彼が受け入れてくれるなら」と云う条件付きの決心は、彼女の心を弱くし、不安定にさせてしまう。彼にとっても今までの恋愛ではなくなり、ズシッとした重みのある関係に変わり始める。

過剰に依頼心が強くなり、彼に答えばかり求める女になってしまう。
まだ離婚も決まっていない時期から次の結婚の手形を欲しがり、手に入らない事を(当然だ)不安がる。安心して離婚できる状態を彼に求める。

離婚はハードな作業だ、一人では辛い。協力者やアドバイザーは絶対に必要だろう。でも最後の壁だけは一人で超える覚悟がいるのだと思う。
第二の男を離婚のための「杖」に使うのは良い事だと思う。山だって険しい場所では誰もが杖を使うのだ、ガンガン使えばいい。

ただ杖がなければ立てないのだとしたら、自分が今そういう状態だとしたら、少し待つ必要がある。危険すぎるのだ。安心できなければ離婚に踏み切れない程度の覚悟なら、今は見送った方がいいのかも知れない。

不安だらけで何の保証もない状態だとしても、最後の壁を一人で超えた時「人生そう捨てたもんじゃないね」って思えると思うよ。離婚後の人生をよりよいものにするためには、離婚後の少しの期間の不安定さを覚悟する事と離婚前の恋愛に執着しない事だと私は思ってる。

せっかく離婚したんなら、もっと自由な恋愛してみてもいいんじゃない?ね。

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万馬券の男 (運、不運の考察)


親しくしている友人でえらく競馬に強い人がいる。強いといってもギャンブラーではない。本人いわく、馬と気持ちを通じさせる能力があるらしいのだ。

言われてみれば容姿からして長身、面長、優しい目元等、馬族と全くの他人とも思えないような気もする。直系ではないにしても、ひいおじいちゃんの従兄弟の嫁さんの父さんが「馬の助という名前だった」程度の関係はあるに違いないと思っている。

そんな訳で彼はやたらと万馬券を当ててしまう。
競馬場で馬を見ていると、ふと目が合うらしい、そして馬は彼に「今日は今までに無いほど調子がいいのよ、あなたに会えたせいかしらん、あたし頑張るかんね、馬券かってね」とかなんとか伝えるということらしいのだ。

当然彼は「わかったよ、精一杯頑張るんだよ」と励まして馬券を買う。そして見事あっぱれ万馬券!となるわけだ。
その度に気前の良い彼は我々友人に一杯奢ってくれたりするものだから、周りの人間にとってはウマい話しとなるんだな・・・なんちゃって、失礼。

競馬に限らず、人には運の良い時と悪い時がある。人によっては運が良い事なんか無いよ、と思っている人もいるかも知れないが、そんな事は無い。
運の良し悪しは、ドラマチックには訪れないが密かに猫足で擦り寄ってくる。

一本の電話をかけたことから恋が始まったり、トラブルに巻き込まれたりする事がある。日常の思わぬところに人生の分岐点が隠れているのだ。

人はいつも二者択一を迫られながら暮らしている。行くか行かないか、するかしないか、追うか追わないか、等など、日々選択の繰り返しだ。
その選択のひとつひとつがその人の運、不運を分けて行く。

色々な人を見ていると、良くない方、良くない方と選んでしまう人がいる。
その反面、見事に幸運を選び続ける人もいる。何が違うのだろうか。
私は幸運というものは、来るというより発見するものではないかと思っている。

そして幸運を選ぶ人達は、その発見がうまい人達のような気がする。
見過ごせば幸運でも何でもないことを「ああ、よかった」と思う時、これが幸運の発見だと思う。日常道を歩いていて「幸運だ」と思うことはそれほどない。

ごく稀に一億円入りの風呂敷を拾ったり、大手プロダクションにスカウトされたり、という話を聞くが私の身近にはいないし、それが即幸運と言って良いのかも分からない。しかし、例えば夜遅く人気のない暗がりを一人で歩くとしよう、何事もなく家にたどり着いただけで「ああ、よかった」とため息が出たりする。たぶんこんな時に私達は幸運を発見しているのだ。

極端な話、今の時代に健康で笑っていられる事が幸運でなくて、何が幸運なんだと言いたい気もするが、もう少し欲の深い皆様のために未来の幸運を呼ぶための秘策を教えよう。(効くかどうかは運次第・・・?)

まず、潔さを身に付けることだ。選ぶべき時に無駄な躊躇をしない、どうせ人は1つの道しか選べないのだから、やると決めたら颯爽とやる。やらないと決めたら素早く別の道へ行く。潔い選択は不運を運んでこないのだ。

肯定的な人の傍にいることも大切だ。
誉めてもらうと自信がつく、自信があれば積極的になる、積極的になれば世界が広がる。広い世界にはチャンスがゴロゴロ転がっているものだ。
そして、もし「やるか、やらないか」の選択で迷ったら、とりあえず「やる」のボタンを押してみる事だ。始めてみて、だめならさっさと「やめる」のボタンを押せばいい、やらずに後悔するならやって後悔したほうがマシだ。

つまり、グズグズと否定的な人の傍にいて、何事に対しても「やってもしょうがない」という答えを出し続けてさえいれば、あなたも完璧に不幸になれるということでもある、心して用心したいものだ。

さて、例の万馬券の男だが、彼は全体的に幸運なタイプではある。
それにしても、いかんせん運を競馬で使いすぎていることは確かだ。
その証拠に彼の波乱万丈な恋愛運ときたら、ああぁ・・・・・やめておこう。

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老婆心かもしれないが


20世紀が暮れようとしている。天晴れな時代だったとは言いにくいが、愛着のある世紀だった。(あたりまえか、この世紀しか生きてないんだった・・。)
今年もたくさんの人達と出会い、話をしたのだが、何となく元気が無い人が多くなったように思う。

男の元気の無さは今始まったものではないのだが、今年はちょっと女性のことが気にかかるのだ。
長く続く不況が、女性の自由な選択権にも影を落としているのだろうか。

現実的な問題としての経済力が、かつてほど手軽には手に入らなくなっている。職が有ったとしても、このご時世、いつ何時クビにならないとも限らない。
「結婚」が一般的な女性にとって、愛情と経済の両方に直接結びつくようになっている。二人の間に愛情と経済が両立している間はいいのだが、残念ながらそのバランスは大変もろいものでもある。

愛しているけど、お金がないの・・、これは一昔前のフォークソングの世界にありがちな状況だ。面白くは無いがほほえましい。
お金は有り余ってるけど、愛は消えたの・・・。こうなったら有り余ったお金で、愛人でも持つしかない。(しかし、余るほど持ってる人はあまりいないな。)

どちらの場合も愛情と経済のバランスはしっかり壊れているのだが、「愛しているけど、お金が無いの」方のパターンは我慢できるし、努力もできる。
問題は「愛が消えちゃった」方だ。愛人囲ってOKな人はいいのだが、多くの女性は「新しい人生を新しいパートナーとやり直したい」と思い始める。

このままいれば、そこそこ平和で貧乏はせずにいられるのだが、先は長い。
子供やら、経済等といった問題を抜きにしたら、何故この人と一緒にいるのか分からない。愛しているどころか、憎んだり軽蔑したりしている相手と一緒にいる事の不自然さだけが残るのだ。

そんな不幸な状況に陥らないために、みんなが自立した「力」を持てれば良いのだが、それが意外と難しい。
離婚を勧めるわけではないが、いざと言う時のことは考えておく必要はある。
今が平和だからといって、未来永劫に平和であるとは限らないからだ。

あなたの亭主がある日突然、奇跡的に藤原紀香にでも誘惑されたとしたら、ついフラフラと彼女に走らないとは言い切れないだろう。ごく稀に奇跡は起こるのだ。(キムタクが静香を捨てて私に迫らないとも言えないのだ!?)

私達は、いつでも、どんな状況でも、自分の将来についてのビジョンを頭の隅に入れておく必要がある。未来は個人のものに他ならない。一緒に暮らしていたとしても、夫には夫の未来、貴女には貴女の未来が来る。

もし今、貴女が恵まれた主婦だとしたら、貴女の未来のために「力」を付けておく事を勧めたい。趣味を極めるも良し、資格を取るも良し、家事が好きならスペシャリストとしての意見を持ちたい。何しろ、万一の時に「経済」だけに縛られて、自由が利かない状況を作らずにいたいと思う。

人は自分ひとりが生きて行くことのプログラムは、誰でも持っている。
まずはそれだけでいいのだ。それだけあれば、最低限の自由は確保できる。
経済力は信仰心と似ていて、生きる方向と勇気をくれる。

これから結婚する人も「個人としての経済」を少しでも意識しておく事は、とても大切な事だと、私は思っている。
老婆心と言われればその通りだが、依存心の強い人が多くなっているような気がしてならない。私はみんなに「力」をつけて欲しいと切に願っているんだ。

             「自由に生きよ、ただし自腹で!」


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哀愁を抱きしめて

 

私の周りには中年の男の人がたくさんいる。
皆さんそれぞれにステキな人たちなのだが、一人一人をよく観てみると実に面白く、何だかちょっと悲しい。

私のいうオジサンは、30代ではない。30代にはまだオジサンと呼ばれるだけの立派な哀愁がないのだ。
40代後半以降で自分を「お爺さん」と認識していない人達全部をひっくるめて、オジサンあるいはオジと呼んでいるのだ。

会社勤めなら部長クラスで、そろそろ定年後の暮らしが頭にちらつき始める頃、「オジの時代」が始まるようだ。
今ならちょうど「団塊の世代」と呼ばれる人たちだろう。

頭も少し薄くなったり、白いものがチラホラと出始めてくるころになると、いよいよ本物の哀愁が漂いはじめるのだな。
哀愁はまず目元に現れ、近くの細かい文字などが見え難くなる。間もなく、口元にも忍び寄り、堅いものが食べたくなくなり、間違って林檎などかじると流血の惨事となったりする。
その後、着実に足腰を哀愁が襲い、いずれ体中哀愁だらけになるのだ。あぁ痛ましい・・・。

だが彼等は2〜3年もすればすっかり哀愁にも慣れてきて3人寄れば哀愁話に花が咲いたりするようになるから立派だ。
(注釈)言っておくが、間違っても「哀愁」の部分を「老化」等という無礼な言葉に置き換えるようなことをしてはいけないよ。

しかし私が思うところのオジサンは、やはり悲しさを背負わずにはいられない。悲しみの無い、ただ単に年をとった男にに対して「オジサン」とは呼びたくない。

仕事で落ち込み、女にふられ、子供と上手に付き合えず、それでも頑張るオジサンが好きなんだ。
こんなオジサン達だって一気にそうなったのではない。
かれこれ半世紀もかけて、そういう哀愁力を身に付けたのだな。その間には、いったい何があったんだろう。

実はオジサン達は激動の青春を生きて来ているのだ。
ある小太りのオジサンは大学に入ったは良いけれど、入学式も無ければ講義も受けないうちに大学紛争に巻き込まれていったという。
又、あるオジサンは、友人の家でラーメンを食べていただけで警察につれて行かれ逮捕されてしまったらしい。

この二人など、どう見ても国家転覆計画を企てそうには見えない、企てたとしてもせいぜい国家満腹計画程度だろう。(なかなか美味そうな計画ではあるな)
でも本当にあの頃の日本は大学の過激派組織を中心に荒れ狂っていたんだ。その理由を私は知らないが、暴れていた当事者達も分かっていたのはほんの一握りだろう。しかし、あのエネルギーの凄まじさは何だったんだろう。

その後の就職難を経て高度成長、バブル景気と、いつもその真っ只中にいたのが今のオジサンたちだ。彼らは常に主役を張ってきたのだ、バブル崩壊までの時代は。

さて、そして今の時代、彼らはある意味での主役の座にはいる。そう、リストラの嵐だ。嵐の真っ只中にいるのだ。50歳になったら問答無用で肩たたき、というような会社も珍しくなくなってきた。現代はオジサン受難の時代なのだ。

バブル崩壊以来、銀座や六本木に生息していたちょっとリッチな「おじ様」族がシャボン玉のようにふっと姿を消した。
そして、哀愁のオジサン登場、となったのだ。

因果な時代を駆け抜けてきたオジサン達は、今少し元気を無くしているけれど、オジサンにしか出来ない事があるのではないかと思っている。


時代に翻弄されて、天国も地獄も見てきた最後の世代だからこそ見えている事があるのではないかと思うのだが・・。

皆さん、あなたの周りのオジサンにも、かつて熱ーい時代があった事をイメージしてみるといいかも知れない。
きっと何処かにその片鱗があるような気がするよ。

ねぇ、オジサンどうだろう?


あの頃みたいにチョッと暴れてみてももいいんじゃない?

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さくら放浪記

 

「ねがわくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」、西行だ。

もう八百年以上も前に死んでしまった人だが、その歌は今も尚、怪しい輝きに充ちている。さぞ色気のある坊さんだったのだろうな。
いまや、世間は花盛り、サクラサクラの大合唱だ。

常日頃は天邪鬼でいたがる人達もこの時期だけは、なぜか桜の木の下で機嫌よくお神酒を飲んだりしてしまう。
桜にはたぶん不思議な力があるのだろう。人を立ち止まらせる力があるようだ。

大人も子供も男も女も老いも若きも警官も泥棒も本妻も愛人も貴方も私も立ち止まってしまうのだ。何故だろう?

その疑問を解くべく結成された「桜真実探求結社」という秘密結社がある。

メンバーは風水師1名、占い師1名、車1台。(極めてシンプルだ)
その風水師は同時に「ぬかみそ真実探求結社」というのも作っているのだが、メンバーは更にシンプルで風水師1名、「ぬか床」1個だ。

研究内容は知らないが、時々「ぬか床」に顔を突っ込み騒いでいたりする。秘密結社の活動には謎が多いようだ。

さて桜真実探求結社の活動だが毎年この時期に1週間ばかり続く、それはそれは過酷な業務だ。今年も先日から調査活動は開始され、いまはまさにその渦中にあるのだ。研究内容は勿論、なぜ人は桜の下で立ち止まるか?

昨日は顧問の「万馬券の男」を招き行われた。
近所の公園で、まだ3分咲き程度の桜の下に立ち止まってみた。
ついでにちょっとレジャーシートをひいて、テーブルも置いてみた。なかなかマッチした結構な風景だ。

テーブルの上にビールと鳥の唐揚げなんかも置いてみたら、いよいよ立ち止まりたくなってくる。何処から持ってきたのかカセットデッキなども現れ、「高橋竹山、津軽じょんがら節」などが聞こえ始めるではないか!こうなると、もう立ち止まるしかないではないか!!あぁぁ


というわけで私達3人は2時間ばかり桜の木下で立ち止まったのだが、
「人々が立ち止まる理由」はいまひとつ定かにはならない。
「花はもうひといきですねぇ」
「でもビールは美味しいですよ」
「唐揚げも実にウマイ!」
「桜には高橋竹山ですねぇ」

「でもビールはサッポロでしょう」
「唐揚げも実にウマイ!」
等と言う会議の結果、桜の下にテーブルを置くと立ち止まり率が一気に高くなるのではないかという結果が得られた。

そして今日、結社のメンバー全員(二人だが)でその説の裏付けを得るためにテーブルを持たずに近所の満開になっている桜の下に行ってみた。「果たしてテーブル無しで人は桜の下に立ち止まるのか?」

昼時なので、とりあえずレジャーシートなんかひいてみた。

直接その上にビールとタクアンも置いてみたりしたら、結構さまになるではないか。その上、何処から持ってきたのかカップラーメンとポットまであらわれて、我々はつい、1時間半ばかり立ち止まってしまったのだった。・・・・・そう、テーブル説は立証されなかったのだ。

では、レジャーシートかもしれない。奴が真犯人なのか?

でも昨年は桜の下のベンチで2時間半も立ち止まった事がある。
ビールが怪しいか・・・・。でも去年は日本酒でも立ち止まった。
う〜ん、こうなれば何も持たずに行ってみるか。

風水師に相談したところ、あしたの夜にでも何にも持たずに行ってみようという事になった。

そう、桜の真実探求のために我々は明晩、あの提灯が沢山出ている公園に行くのだな。たのしみだな〜。

はいはい、絶対に夜店なんか行きませんよ、たぶん。(桜)

                   
「花ちらで月はくもらぬ世なりせばものを思わぬ我が身ならまし」  西行


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死闘、夜叉神峠

 

夜叉=インド神話で富の神のベーラの従者。仏教で毘沙門天に属し仏法の守護神。八部衆のひとつ。(日本語大辞典)

最初から教育的になってしまった。いくら隠そうと思っても、深い教養が時々ポロリと転がりでてしまうものだ。イヤハヤ・・・。

さて、なぜ最初から「夜叉」かというと、この言葉があまりに魅力的であるがために今回、私は危うく命を落としかけたのだ!
その日、この時期にしては大変湿度の低い、すっきりとした好天に恵まれていた。家で呪文をかけたり、イタコの勉強をするにはあまりにも爽やか過ぎる気候だったので、突如外出しようと言う事になった。

同行は例の風水師だが、行く先が決まらない。
ハイキングは疲れるし、遊園地でもあるまい、恐山は遠いし樹海はヤバかろう、ということで墓参りとなったのだ。
ご先祖のお墓は山梨にある。

地元の方なら分かると思うが、この時期の山梨はたぶん日本一美しい場所だろう。満開の桃の花で、いたるところピンクの絨毯を敷き詰めたようなあでやかさだ。

その上、山間部では桜が絶好調で、なおかつ純白のスモモの花も爛漫ときているから、「桃源郷」とはこういう場所だろうと確信してしまうほどの悩ましさなのだ。そんな訳で、私達は悩ましいお墓参りに出かけたのだった。


ご先祖様に日頃のご無沙汰を詫びて、ひと通りのお参りを済ませたのが、ちょうど昼頃だろうか。
さて、これからどうしようかという事になったのだが、風水師が職業柄どうしても行きたい場所がある、と妙に力んで言う。

研究熱心なのは何よりだと思い、同行する事にしたのだが、これが間違いの始まりだったのだ。
先の事など何も知らない私を乗せた車は山梨の西部、芦安村へと向かったのだった。(占い師も自分の不幸は分からないものだ)

それまでの悩ましいばかりの艶やかな風景とは、うって変わった何とも無骨な風景の中、車は止まった。「夜叉神峠登山口」という看板が立っている。

私に「登山」は関係ないだろうと風水師を振り返ると、何やら屈伸運動のような事をしているじゃないか。あっ、アキレス腱まで伸ばしている。

風水師「お墓参りのついでにちょっと登ってみましょう!」

お墓参りのついでに登山だと?風水師「イエイエご心配なく、ほら「峠」と書いてあるでしょう。何の心配もいりません。私に任せてください、はい」

確かに夜叉神峠と言うから「峠」だろうが、その後に「登山口」と書いてあるのが、少々気にはなる。でも、夜叉神峠とは何と魅惑的な響きだろう。風水師でなくても心惹かれるものがあるのは確かだ。

「エーイ、騙されたと思って登ってみるか」と思い、ぼちぼち歩き始めてすぐに本当に騙された事に気が付いた。
そこは急勾配のガレキ道で、日陰には雪がたっぷり残っていた。そこいらに落ちていた棒を杖代わりにしていたのだが、雪の中にズブズブ刺さって歩きにくいの何のって、おーい!

「私に任せてください、はい」と言っていた風水師はとっくに見えなくなってしまったし、登山道はチクチクした笹が覆い被さっていて、かき分けなければ進めない。

棒を振り回しつつ、ヨタヨタ登るが、いっこうに視界は開けてこない。疲れ果てて立ち止まると、今度は笹の中からガサッ、ゴソッと音が聞こえてくる。「熊さん・・・・?」「マムちゃん・・・?」ふとよぎる不安。


「こんな山の中でただ一人、熊に食われるとは思ってもみなかった。人生の展開とは意外なものだなぁ。ウーンそうかぁ・・。」
感心している場合じゃない!熊もマムシも本当は人間が怖いのだと言う。こういう時は声を出して、歌でも唄った方がいいらしい。
よし、唄おう。


ある〜日、森の中、熊さんに出会った〜・・・・・・」

何だか選曲が悪い気がする。これでは熊さんが「呼んだ?」とか言って出てくる恐れがあるのではなかろうか。
こうなったら、とにかく声を出しながら先を急ごう。

「ににんがしにさんがろく、にしひがし・・くまくるな」ぶつぶつ
どうやら、高等な呪文が利いたとみえて、熊もマムシも尻尾を巻いて逃げていったようだ。(マムシはどこから尻尾だろ?)

こうして奴らは、ついに私に姿も見せず去っていったのだった。
正義は勝つんだ。たぶん

ようやく少し開けたところに出たら、風水師の声が聞こえてきた。「アランさん、もう一息ですよー」
こちらが熊とマムシとの決死の戦いに精魂尽き果てているとも知らず、御気楽な事だ。何がもう一息だ、ここは墓参りのついでに来る所ではなくて、どちらかと言うと冥土の土産に来る所ではないのか?えっ?

ぶつぶつと言いながらも、もう一息を登りきってようやく顔を上げて見ると、そこには広大で清新な風景が広がっていた。

南アルプスの山々が真っ白な雪をかぶって鎮座していて、まさに神様の棲み家だ。風が心地良く通り過ぎて行く。
峠の標高は
1770メートルだった。

「夜叉神」という名前を付けられたこの峠は、何か私達人間が犯してはいけないものを守り続けているようだ。

ここも紅葉のシーズンには観光客で結構賑わうらしいのだが、この日の夜叉神峠といったら、私と風水師と熊とマムシと神様だけの場所だった。

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機中にて

 

自慢じゃないが、27時間飛行機に乗っていた事がある。
思い切り自慢をしてもいいのだが、だれも羨ましがってくれないので、「自慢じゃないが・・」という事になるのだ。チッ

別に世界一周の旅に出たり、ハイジャックに遭ったりした訳ではないのだが、何故かそんな羽目になってしまった。
行き先はトルコのイスタンブールだ。通常なら12時間程度でつくのだが、なんと15時間も余計にかかってしまったのだ。

問題は航空会社選びであった事は、明白なのだがまさかいくらなんでも倍以上かかるとは思ってもみなかった。
大きな声では言えないが「パキスタン航空!」を利用したのだ。

何しろ安い。驚くほど安い(その上、長時間乗っていられる)。
その価格からいって何かあるだろうとは思っていたが、何を隠そうその飛行機はローカル線の各駅停車旅客機だったのだ。

その日、成田は華やかな海外旅行客でおおいに賑わっていたのだが、私が搭乗手続きを済ませて乗り込んだ飛行機の中の空気は、何だかその華やかさとはちょっと違う様子が漂っていた。何やら少しわびしい感じがするのだ。

最初に北京に止まるので、帰省の人たちだろうか中国語らしきものがそちらこちらから聞こえる。いわゆる短期出稼ぎのオジサンやオバサンが土産のようなものを持って帰るようだ。

オジサンやオバサンはコンビニで買ってきたおにぎりを食べ、お茶を飲み、中国語で楽しそうに騒いでいる。
私はこれから、あの哀愁と混沌のイスタンブールへ旅立つのだというのに、隣でおにぎり持ったおじさんが騒いでいては、気分が出ない。(これはこれで混沌だけはありそうだが・・。)

北京でオジサン達が降りるまで哀愁と混沌はお預けだなと諦めていたのだが、そんな私を見かねてか、オジサンはおにぎりを1つくれたのだ。割といい人のようではあるな。

幸い私は飛行機が上昇するとほぼ同時に眠ってしまう習性がある。気圧の変化に著しく反応する身体らしいのだ。
余談だが台風が近づいて来ると体調が滅茶苦茶になってしまい、ひどい時は寝込んでしまう。台風が去るととたんに元気になって嘘のように体調が良くなるのだ。天気予報など無い時代に生まれていたら台風の預言者として、たいそう重宝されただろうと思うな。

そんな訳で、眠っているうちに北京に到着!おにぎりのオジサン達もなつかしの我が家に向かって去っていった。
いよいよ、哀愁と混沌のイスタンブールに向かうのだと思っていたら、新しい乗客が乗ってきた。

次の行く先はパキスタンのイスラマバードだ。北京からの乗客は、遊牧民だった。(たぶん)黒い綿入れ(ドテラのようなもの)を着て、腰をピンクのビニールヒモで結んだその一団は何語かよく分からない言葉で話しながら乗ってきた。

たぶん日常的な入浴の習慣の無い民族のようで編みこんだ長髪が少々異臭を放っている。「哀愁」のはずが、「あっ、異臭」に・・・うーん。


気を取り直して、イスラマバードまで哀愁も混沌も棚上げしておく事にした。でも、荷物室にはヤギや馬なんかも乗っているかも知れないと思わずにはいれない状況だったのだ。
イスラマバード到着。此処で飛行機を乗り換えるのだが、遊牧民の皆さんは原野へと去ってゆき、やれやれと思っていると又新しい集団が乗ってきた。

もう、こうなったら矢でも鉄砲でももってこい!という状態でその集団を見て驚いた。

イスラム教徒の巡礼団のようなのだ。白い衣装に白いターバンのようなものを巻き続々と乗り込んでくる。当然といっては何だが、日本人は他に一人もいない。そしてなんと、この飛行機が飛び立つ時には、旅の安全を祈る(たぶん)コーランがスピーカーから流れてくるのだ。

皆さん両手をささげだし、ムニャムニャ祈っている。私だけがこれをしないと、いざ飛行機になんかあった時「お前が旅の安全を祈らなかったからだ」と言われる恐れがあるので、私も両手を捧げてムニャムニャと祈ってみた。隠れキリシタンの踏絵のような状況だ、私はすぐに踏むタイプだと確信してしまった。

彼らは、時間になると通路に小さな布をひいてお祈りをしている。「こんな飛行機嫌だ!」と叫びたいのだが、多勢に無勢、長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰、等というネガティブなことわざを思い出しつつ旅は続いたのだ。

巡礼団が降りたのは、アブダビだ。(何処だ、そこは?)
環境の激変に私は放心状態だったのだが、アブダビでは石油王が家来を連れて乗ってくるのではなかろうかと、僅かに期待もしたのだが、よく考えると金持ちはこんな飛行機には絶対に乗らないことに気が付いてしまった。


「もう、どうにでもしてちょうだい。
どうせ私は流れ流れの占い師、どこえなと行きましょう。」
と、達観しかけた私の耳に次の着陸地が聞こえてきた。

「カイロー・カイロー」
カイロだと?エジプトのカイロ?
アフリカ大陸のエジプトのカイロの事か?あぁぁぁ。

その後、ほとんど失神状態でいたのだが、何とかイスタンブールにたどり着いた時、飛行機には僅か数人の乗客がいただけだった。

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その男、不器用につき

 

今、心配事がある。

集団的自衛権の問題・・・んな、わけは無い。
実は友人の恋の行方がちょっと気になっているのだ。
彼は独身の中年オニイサンで、まぁ良い遊び友達といったところかな。自然が豊かな地方都市の出身でのんびりと育ってきた事が一目でわかりそうな優しい風貌だ。

仕事はいたって真面目だがギャンブルがちょっと好きで、休暇を取っては日本中の競輪場を一人で黙々と踏破しているという噂だ。(これはギャンブルに対しても真面目という事か?)

お酒は決して強くないが、飲む事は大好きで背中を丸めて駅前の屋台で一杯やってる姿は一時代前の不器用な男を連想さずにはおかない。たぶん人としての愛しさがあるのだろう。
さて、そんな彼の様子がちょっと変わってきたのは昨年の秋頃だっただろうか。どうやら危険な恋が始まったらしい。

 ・・・・ 「〜〜暗雲〜〜」・・・・・その話を聞いた時の仲間たちの反応だ。彼の恋にはいつもこの暗雲が立ち込めるのだ。若かりし日の彼は、純粋を絵に描いて、正直で色を塗ったような男だった。こと、恋に関しての直進行動といったらイノシシも思わず曲がって逃げるほどのものだったらしい。

ある日、彼に北海道への出張が命じられた、行く先は室蘭。
仕事に真面目な彼は「ハイッ!」と答えてすぐさま旅立ったのだ。約一ヶ月の出張、人気の無いホテルの部屋で毎日毎日淋しい夜を過ごしていたのだが、仕事が一息ついて後1週間ほどで帰ると決まった夜、彼はとあるスナックにふらりと立ち寄ったのだと言う。

そこに彼女がいたのだ。ほっそりと小柄で色白、憂いを含んだその瞳、今では指輪も回るよな痩せてやつれた女が一人ときたもんだ。

彼の理想のタイプだったらしい。彼は昔から支えてあげたくなるような弱く優しげな人が好きだった。その上、不幸のひとつやふたつ抱えていれば申し分なしだと言う。

当然その日から毎日毎日、きっちりと通いつめ憂い顔の彼女のためにボトルをバンバン開けたらしい。しかし、悲しいかな自分は間もなく東京へと呼び返される身の上だ。無常にも時は過ぎ、まだ単なる気前の良いお客さんの段階で室蘭を離れる日が来てしまったのだ。これで終われば、「室蘭の思い出」ということで済むのだが、そうはいかない。

たぶん別れ際、彼女に「もうお別れですね、淋しいわ・・・・」とかなんとか言われたのかもしれない。それからの彼の行動と言ったら恋の力無しには絶対出来ない行動だった。

名づけて 恋するオニイサン双六 
(振りだし)金曜日、仕事を早く切り上げる 羽田空港に行く 飛行機に飛び乗って千歳空港に着く タクシーに乗って室蘭に着く 徒歩でスナックへ ボトルをバンバン開けて、くちなしの花なんか唄ってホテルに泊まる(もちろん1人で) 次の日、昼間はぶらぶらして夕方スナックへ行くボトルをバンバン開けて、北国の春を唄ってホテルに泊まる(やっぱりひとりで) 翌日飛行機で帰る 1週間働いて、(振りだし)に戻る。

わぉ

これが延々四ヶ月続いたと言うのだ。彼が貯金も使い果たした頃、彼女が突然店を辞めて、やっとの事で彼の恋は玉砕したという事だ。ナンマンダブ。こんな形の恋が山形でも岐阜でも起きたらしい。彼は純粋でいい奴ではあるが、学習能力についての疑問が残る事は事実だな。

そして今回。


これがどうやら亭主持ちらしい。夫が単身赴任中のはかなげな人妻なのだそうだ。これでは一層たちが悪い。昨年の秋までは、週末というと仲間と一緒に飲んで遊んでいたのに、今はすっかり恋するイノシシ状態のようで、みんなで呼んでも来やしない。

単身赴任の亭主が戻って、見事玉砕する日を待つしかないのだろうけれど、恋の顛末が見えているだけにちょっと心配だ。


いつも彼の恋に立ち込める、例の「暗雲」が早く晴れるといいのだが、今年の梅雨はまだまだ明ける気配はないようだ。


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